相手と闘うスポーツ、自分と闘うスポーツ

スポーツの試合を観ていて、ふと心が引いてしまう瞬間がある。 鮮やかなプレーに一瞬は目を奪われながらも、その熱狂の先にある「影」を前に、どうしても没入しきれない自分がいるのだ。 私が胸を打たれるのは、決して「勝ち負け」が決 … 続きを読む

因果の網の目に生かされて

人生の成否を左右する局面で、私は何度も、間違った判断を危機一髪で回避してきた。 そのたびに「ぎりぎり間に合って良かった」と胸をなでおろすのだが、こうした好都合が何度も重なると、「偶然」という言葉の許容量を超えてしまう。  … 続きを読む

人生と言う交響曲の終わり方

クラシック音楽の多くの交響曲では、第四楽章が長い旅路の締めくくりを担う。 そこには、作曲家がその曲に託した思いが凝縮され、音楽はそれぞれ異なる方法で終わり方を選ぶ。 その多様な終結の姿が、人生の最終章と重なって見えること … 続きを読む

最終章の静けさへ

最近、私の心の中に、「静かにこの世との縁を整理しよう」という思いが、ゆっくりと灯るようになった。   それは、現実からの逃避でも、社会への絶望でもない。 長いあいだ社会の荒波にもまれ、人との関わりの中を、できるかぎり誠実 … 続きを読む

生まれ変わっても、血は変わらない

私に対して「生まれる時代が違っていたら、社会のために何かを成し遂げる偉人になっていたかもしれない」と言った友人がいる。   その好意は素直にありがたい。 だが、その言葉は私の胸には落ちなかった。 それどころか、その言葉は … 続きを読む

残された地平に二人で立つ ―― 第三者になれぬままの四十数年

私は人生をあまりに我儘に生きてきて、伴侶である妻にひとかたならない苦労をかけたと、深く反省している。 だから私と妻の過去の言い分はまったく平等ではないのだが、それでもの話である。 妻ともめ事があり、こちらの言い分に納得が … 続きを読む

支配欲の呪縛 ―― 思想・歴史・資本・感情のハッキング

人間社会は、様々な支配構造に翻弄されている。 現存する特定の社会システムを批判することは容易だが、翻って「理想の社会」など地球上のどこを探しても存在しない。 歴史を見渡せば、民主主義的で平和な社会が一時的に成立することは … 続きを読む

数理の底から爆発する狂気 ―― 矢代秋雄『交響曲』の衝撃

日本のオーケストラ界が遺した20世紀の記念碑的大作、矢代秋雄の『交響曲』(1958年)。 演奏会で取り上げられる機会が稀なこの曲を、私は先日、初めて生で聴く機会を得た。   コンサートの後半、メインプログラムに40分に及 … 続きを読む

選ばない情報の価値 ―― いま光る「新聞」というメディア

妻は昔から熱心な新聞ファンである。 紙に書かれた文字は落ち着いて頭にすっと入ってくるのだと言う。 結婚して四十六年、我が家の食卓にはいつも新聞があった。 しかし、テレビの速報性こそが「ニュース」だと信じて疑わなかった私は … 続きを読む

燃え盛る季節の後で

私の人生には、「ほどほど」という加減がなかった。 ひとたび火がつけば、空の雲を焦がすほどに燃え盛る。 学生時代から、やると決めたことには全エネルギーを注ぎ込み、我を忘れて未知の世界へ突き進んできた。   その異常なまでの … 続きを読む

日本のラジオ体操が生みだした、朝の至極のとき

ラジオ体操の「元祖」が、1925年にアメリカの生命保険会社が始めたラジオ放送である事実は、あまり表舞台で語られない。 当時、現地を訪れた日本の簡易保険局(現在のかんぽ生命)がその試みに着目し、NHKと手を結んで1928年 … 続きを読む

背中を見送る散歩道

だらだらと続く登り坂を、「もう少し」と自分を励ましながら歩いていると、後ろから軽快な足音が近づいてくる。   道路の端に寄って道を譲ると、あっと言う間に追い抜かれた。 上がった息の音すら聞こえない。 その背中はみるみる小 … 続きを読む

近くなった世界、遠くなった追憶

ニュース番組を観ていてると、海外で社会的混乱や自然災害が発生するたびに、決まって現地に暮らす日本人の数とその安否が報道されることに気がつく。 スマートフォンで撮影された彼らの生々しい姿や声が流れるたび、私はその数の多さに … 続きを読む

水無月の道標(みちしるべ)

「水無月の 夏越(なごし)の祓(はらえ)する人は ちとせの命 のぶというなり」   間もなく六月の末日を迎え、今年も半年が過ぎて折り返し地点に到達する。 週に一度訪れる地元の大きな神社。その鳥居の二本の柱の間には、茅(か … 続きを読む

家族を支えた足跡 ―― マリオンとリカルドが遺したもの

外を歩いていて散歩中の犬に出会うと、今でも毎回心がときめく。 すれ違いざまにリードが引かれ、こちらに鼻をクンクンさせて寄ってこようとする姿を見ると、愛おしくて仕方がなくなる。 一度触れ合わせてくれた犬は、次からは遠くから … 続きを読む

なぜ私はここで書き続けるか

どんなきっかけでこの場を見つけ、エッセイを書くようになったのか、細かいことは覚えていない。 ただ、漠然と現役を引退した心の空虚感を埋めようとしてペンを執ったことだけは間違いない。   私は自分勝手に、やりたいことに熱中し … 続きを読む

テクノロジーよ、止まれ!

1960年代に子供たちの間で流行した「時間よ止まれ!」という言葉があった。 手塚治虫原作のNHKドラマ『ふしぎな少年』で、主人公が時間を操る際に唱えたセリフがヒットしたものだ。   小学生だった私は、近所の子どもたちと一 … 続きを読む

創作は、焦らずに発酵を待つ

小説家が原稿を「少し書いては破り捨て、また書く」をくり返し、「私の才能は、もう枯れてしまったのだろうか」と苦悩する姿は、昔から映画やドラマでよく見てきた光景だ。   おそらく、小説に限らず、音楽や絵画など、いわゆる「芸術 … 続きを読む

夜明け前の推敲 ―― 終わりのない文章との闘い

小学生の頃、母から「慌てないでいいから、ゆっくり確かめなさい」と何度も言われた。 宿題やテストの結果を見て諭されたときの言葉だが、その声は今でも耳に「タコ」ができたまま残っている。   当時の私は、「できた!」と思うと、 … 続きを読む

私が青年に託したもの

私がかつてタイムラプス撮影の個人事業を行っていたとき、「長期タイムラプス遠隔撮影システム」を開発した。 その撮影装置と技術を引き継ぎたいと、はるばる遠方の地方都市から四十歳年下の青年が訪ねてきた。 彼は映像制作会社の社長 … 続きを読む

物欲が静かな願いに変わるとき

私はいつも、すぐれた機能を持った物や、新しく開発された物に心を奪われて生きてきた。 それは単なる飾りとしてではなく、夢を形にするための「道具・材料」として、常に私を魅了し、支配し続けてきた。   俗に言う「物欲」である。 … 続きを読む

書くことが心の一等席を並び替える

もう私の中では済んだことなのだが、かつて自分が感じていたことを、今朝のNHKの番組で医学的に肯定されたような気がした。 テーマは「嫌なことの忘れ方」。   その中で特に興味を惹かれたのは、ある脳神経外科医の話だった。   … 続きを読む

生きるための死生観

死生観という言葉自体に暗さを感じ、死生観を考えるということに後ろ向きで、どこか悲観的な響きを覚えて避けてしまう人は多い。   実際、死生観をめぐる考え方をAIに入力しただけで、「あなたは 1人ではありません。あなたを気遣 … 続きを読む

異国を車で走破する

今では誰もが海外旅行を気軽に楽しめる時代になり、かつて主流だった「パック・ツアー」ではなく、個人で自由に旅する人も増えてきたように思う。   人生において「旅」ほど贅沢なものはない。 とりわけ青年期に経験する旅は、その後 … 続きを読む

元号が映し出す歴史の足跡 ―― 明治から令和へ

日本が誇る独自の制度に「元号」がある。 1968年、明治政府が「天皇一代につき元号は一つ」と定めて以来、天皇の代替わりごとに新しい元号が生まれ、時代の節目を刻んできた。   戦後、元号制度を定めていた旧皇室典範は廃止され … 続きを読む

何かが間違っている ―― 令和のDV・ハラスメント観

深刻な暴力や支配は、どの時代であっても許されない。   だからこそ、日常生活の中で起こり得るさまざまな衝突をどう捉えるかは、とても大切になる。   昭和生まれの私には、ここ二十年ほどで急速に厳しくなった「DV・ハラスメン … 続きを読む

心の中に絵を描くまなざしは、伝わっていた

子どもたちが立派に成長し、それぞれ家庭を持つようになった。 その日常をじじ・ばばの立場から眺めていると、「あっ」と思う瞬間がある。 血のつながりをふと感じるときである。   娘の、何事にも徹底して取り組む頑張り屋の性格は … 続きを読む

小さな背中に託すもの

いつの間にか、中国による台湾統一の可能性が現実味を帯びて語られるようになり、中国の海洋国家化を警戒して防衛戦略の再構築が迫られている ―― そんな見出しが新聞の一面を飾る日が続いている。 ついに政府内部でも、その日が来た … 続きを読む

もう送らないと決めたラブレター ―― 山田洋次監督へ

『男はつらいよ』の感想文の形となったエッセイを、私は印刷して山田洋次監督宛てにファンレターと共に送った。 どうしても私の感動を伝えたかったのだ。   https://mafnet.jp/blog/archives/176 … 続きを読む

商店街を練り歩く昭和の音楽隊 ― ちんどん屋

テレビでサン・サーンスのクラリネット・ソナタが流れていた。 軽やかに転がり出るような音色を聴いているうちに、七十年近く前の記憶がふっと浮かんだ。 子どもの頃、街角でよく見かけた「ちんどん屋」の華やかな姿である。   ちん … 続きを読む