私はいつも、すぐれた機能を持った物や、新しく開発された物に心を奪われて生きてきた。
それは単なる飾りとしてではなく、夢を形にするための「道具・材料」として、常に私を魅了し、支配し続けてきた。
俗に言う「物欲」である。
「物欲」には多様な形がある。
自分が開発した物でも作ったわけでもないのに、ただお金を出して手に入れただけの物を、あたかも自分自身が評価されるべき存在であるかのように誇る人もいる。
自信のなさや満たされない心の穴を埋めるために、良い物を求め続ける人もいる。
仲間になりたい憧れる人たちと同じ物をもつことで、アイデンティティを確かめようとする人もいる。
誰に見せるためでもなく、自分が安心し豊かな気持ちになるために、そっと良い物を持つ人もいる。
理由もなく、ストレス解消の快感を求めて買い続けている人もいる。
そして、私を捉えた物欲は、買って大事にしまい込むための物ではなく、「自分で夢を実現するための道具・材料」としての、尽きることのない欲であった。
仏教では、人間には五つの欲があるとされる。
食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲。
その中で物欲は、持てば持つほどさらに欲しくなる「貪欲」を生み、その状態が「苦」をもたらすと説かれている。
私はまさにその「苦」の中に長くいた。
しかし当時の私は、それを苦とすら感じていなかった。
そこに、私の傷の深さがあった。
この手の体験を、私は人生で幾度も繰り返してきた。
「醜い」欲の連鎖は、私を取り巻く正常な環境を次々と破壊していった。
そして、これ以上破壊したら取り返しがつかないというところまで来て、ようやく目が覚める。
そのようなことを何度も経験してきた。
その物欲のせいで、家族は相当な犠牲を強いられてきた。
よく耐えた善良な弱者たち。
よく暴走した「物欲男」である私。
私はエッセイで繰り返し、「哲学をすること」「仏道に親しむこと」への接点を探ってきた。
物欲は、私の生きるエネルギーであり、同時に目標でもあった。
その物欲が変化を見せたのは、自分がもっと大切なことに真摯に向き合い、成果を出せるようになったときだった。
個人で起業し、満足すべきひとつの技術開発を成し遂げたことが、すべてを変えた。
そのとき初めて、自分にとって本当に価値があるものが何であるかが分かった。
私は、自己実現を「持ち物」で達成しようとしていたのかもしれない。
もちろん、それらはただ買っただけの物ではなく、研究と実験を重ね、自分なりに磨き上げた形に作り直したものではあった。
しかし、所詮「自分のため」の世界だった。
長いあいだ物欲に走ってきた自分の姿が恥ずかしくなり、その足跡に茫然とした。
そして初めて、「自分は異常だった」と思った。
気がつくと、家中に溢れた無駄遣いの遺物を処分し始めていた。
庭に高々とそびえ立ち、近所に威容を放っていたアマチュア無線の鉄塔と巨大な短波帯アンテナも、恥ずかしくなり根本から撤去した。
物欲が徐々に影を潜め、散在する遺物を拾い上げ、少しでも取り返そうと思うようになった。
湯水のように金を使い込んでいた私を見てきた妻が、少しずつ安堵の表情を浮かべるようになった。
その表情を見たとき、本当に胸が痛んだ。
私はその表情を、妻が人生を賭けて私に教えてくれた、最も重い「教え」として受け取った。
最近では、すっかり物欲はなりを潜めた。
知人に最近の素晴らしい製品を見せられても、「お、いいなぁ」とは思うが、買いたいとは思わない。
そんな私だが、今は穏やかな気持ちで「あったら欲しいなと思う物」がある。
誰かに開発して製造してほしい物だ。
決して夢物語ではなく技術的には十分実現可能で、もしそれがあれば、ついやってしまう失敗を未然に防げる物である。
最近、「あ!録画しそこねた!」というテレビ番組が増えた。
何日間かはネットで見逃し番組を観ることはできても、気に入った番組はいつものレコーダーに保存して、繰り返し観たいものだ。
そこで思いついたのが、見逃しを絶対に防ぐ理想の家電製品 ――
「全チャンネル・24時間・同時録画レコーダー」である。
全テレビチャンネル24時間、1週間分まるごと録画し、過ぎたものは順次削除されて構わない。
同時録画チャンネルは設定可能で、数によって何種類かモデルが分かれ、最高モデルはチャンネル数無制限 ―― そんな製品だ。
かつての物欲は、言い換えれば「自分の心の渇望を満たすため」のものだった。
しかし今の私の物欲は、「自分を取り囲む大切な人たちと良い時間を過ごすための道具」だけになった。
その象徴がこの「全チャンネル24時間録画レコーダー」である。
今の私は、物ではなく、物に振り回されない静かな生活そのものを欲している。