近くなった世界、遠くなった追憶

ニュース番組を観ていてると、海外で社会的混乱や自然災害が発生するたびに、決まって現地に暮らす日本人の数とその安否が報道されることに気がつく。 スマートフォンで撮影された彼らの生々しい姿や声が流れるたび、私はその数の多さに、ただ圧倒される。

 

私が留学のためにスペインへ渡った1985年当時、海外勤務者といえば一部の大企業や商社、金融機関などの限られた人々に限られており、その数は現在の三分の一程度に過ぎなかった。 定住者に至っては、今の五分の一にも満たなかった時代である。あの頃、海を渡るということは、文字通り「世界の果て」へ赴くような、非日常の決断であった。

 

私が留学していた大学に、一人の若い日本人女性がいた。 親と大喧嘩をして、飛び出すように日本を離れてきたという彼女は、卒業後も帰国せず、スペインの地方都市へと消えた。

彼女が再び日本の土を踏んだのは、それから十年以上が経った頃だった。 聞けば、その地方都市でスペイン人男性と家庭を築いていたという。 当時としては、それこそ人生を賭けた壮大な武勇伝であり、どこか眩しく、羨ましささえ覚えさせる物語だった。

 

しかし今では、そうした生き方も取り立てて話題に上るほどのものではなくなってしまった。 世界中のどこにでも日本人コミュニティがあり、永住者が増加の一途を辿る現在、海外で生きることは特別な冒険ではなく、日常の選択肢の一つに過ぎない。

 

経済的な発展や企業の海外進出が、この劇的な変化をもたらしたことは間違いない。 だが、それ以上に決定的な役割を果たしたのは、コミュニケーション・ツールの進化だろう。

 

今や死語となった「文通」という言葉を思い出す。

中学一年の頃、アメリカの少女と始めた文通は、英語教師の手を借りて書き上げた手紙を船便で送り、返事が届くまでに二~三か月を要した。

 

高校一年の時には、若者向け雑誌の「ペンパル募集コーナー」に投稿したところ、自宅に女子生徒からの封書が殺到した。 下校後、興奮しながら同級生たちとそれらを山分けした光景は、今も鮮明な記憶として残っている。 何が起きたのかと腰を抜かしていた母の姿も含め、あの頃の手紙には、時間という名の重みと、待つことの焦燥が確かに宿っていた。

 

それが今や、eメールやSNSによって、地球の裏側にいようとも一瞬で言葉が行き交う。 物理的な距離は、テクノロジーによって事実上消滅した。

 

私の息子は、ミャンマーやシンガポールと赴任地を変えながら、すでに十年近く海外で暮らしている。

自宅の近所に住む娘の孫たちとは、一週間と空けずに顔を合わせ、祖父母としての賑やかな日常を謳歌しているが、息子の孫たちと会えるのは、年に一度の一時帰国のときだけだ。

画面の向こう、あるいは私の目の前で、息子とごく自然に英語で会話を交わす孫たちの姿を見る。 世界は、本当に狭くなった。

 

しかし、世界が小さく、便利になればなるほど、かつて私たちが生き、手探りで距離を測っていた時代の空気は、手の届かない過去へと遠ざかっていく。

 

何不自由なく繋がれる現代の平坦な世界を見つめながら、私は、かつて海を渡るために必要だったあの切実な覚悟や、数か月を待つ時間の豊かさを、どこか愛おしく振り返っている。

 

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