音楽
才能の終わりは、成長の始まり ―― 吉村妃鞠から学ぶ普遍的な人生の構造
現在14歳の吉村妃鞠(よしむらひまり)ちゃんのヴァイオリン演奏を知らない人は、もはや少数派かもしれない。 3歳からヴァイオリンの稽古を始め、3ヶ月目にはバッハを弾き、4歳でコンクールに出場、6歳でプロオーケストラと共演 … 続きを読む
五十年ぶりのヴァイオリン ―― 下手でも沁みるマイウェイ
これは決して卑下ではなく、本当に下手な私のヴァイオリンの話である。 私が初めてヴァイオリンを手にしたのは、小学二年生のころだった。父の知り合いが、不要になった子ども用のヴァイオリンを譲ってくれ、それをきっかけに習うこ … 続きを読む
人生と言う交響曲の終わり方
クラシック音楽の多くの交響曲では、第四楽章が長い旅路の締めくくりを担う。 そこには、作曲家がその曲に託した思いが凝縮され、音楽はそれぞれ異なる方法で終わり方を選ぶ。 その多様な終結の姿が、人生の最終章と重なって見えること … 続きを読む
数理の底から爆発する狂気 ―― 矢代秋雄『交響曲』の衝撃
日本のオーケストラ界が遺した20世紀の記念碑的大作、矢代秋雄の『交響曲』(1958年)。 演奏会で取り上げられる機会が稀なこの曲を、私は先日、初めて生で聴く機会を得た。 コンサートの後半、メインプログラムに40分に及 … 続きを読む
商店街を練り歩く昭和の音楽隊 ― ちんどん屋
テレビでサン・サーンスのクラリネット・ソナタが流れていた。 軽やかに転がり出るような音色を聴いているうちに、七十年近く前の記憶がふっと浮かんだ。 子どもの頃、街角でよく見かけた「ちんどん屋」の華やかな姿である。 ちん … 続きを読む
ウクレレがそっとたたく、小さな未来の扉
ウクレレに触れるのは、おそらく六十年振りだ。 孫の男の子の誕生日プレゼントとして、密かに準備している。 通販で購入したウクレレは七千円ほど。 作った人に申し訳ないくらい安いが、おもちゃではなく、大人が普通に使える本物 … 続きを読む
スマホだから、電子劇薬中毒
今日も静かな畑に囲まれた裏道を歩いていると、後ろから歌や話し声のようなものが聞こえてきた。 すっと追い越していったのは、背中にリュックサックを背負った男性が乗る自転車だった。 追い越されざまに後ろ姿の顔を見たが、首元まで … 続きを読む
声という生命の音 ― 人間の声はなぜ楽器を超えるのか
オペラ歌手の歌を聴くと、どうしてあのような素晴らしい声が出せるのだろうと、心から感心してしまう。 私はクラシック音楽のオーケストラを聴くとき、耳で聴くだけでなく、演奏者ひとりひとりの動きを食い入るように観察する。 楽器の … 続きを読む
その人にしか創れないもの
思い出す限り、私が人生で最初に「創作らしき体験」をしたのは、小学五、六年生の頃だった。 通っていた小学校の校門のすぐ脇には大きなヒマヤラ杉が立っており、私はそれを絵の具でスケッチした。 なぜかその絵がどんなものであったか … 続きを読む
韓国人の感情を映すパンソリ──恨(ハン)が教えてくれた心の深層
私は韓国と韓国人が大好きで、韓国人の理解者だと思っている。 しかしすべての日本人がそうではない。 だが、韓国人の感情のルーツを知れば、その思いは大きく変わるに違いない。 仕事でアジアの国々を何度も訪れたが、その中で … 続きを読む
六つの声調が育てる感性 ― ベトナム人が歌う日本語の美しさ
TVでベトナム人の日本留学経験者たちを紹介する番組があった。 驚いたのは彼らの歌のうまさだった。 彼らは日本で日本の歌の魅力にとりつかれ、帰国後も日本の歌を歌い続けているとの事だ。 声の綺麗さにまず惹きつけられたが、聴い … 続きを読む
日本の年末を彩るシンフォニー「第九」
年の瀬が迫って来ると、クリスマス・第九・紅白の話題が飛び交うようになる。 お馴染みの季節を感じる年中行事だ。 今年も年末恒例の第九コンサートに行って来た。 ベートーベンの交響曲第九番である。 合唱隊が200人近くの大 … 続きを読む
音楽文化を変えたカラオケ
今や世界中でカラオケが歌われているが、発祥の地は我が日本だ。 調べると、歴史的には1960年代後半に「8トラックの音楽カートリッジ・テープで音楽を再生しながら取り付けたマイクで歌を歌える装置」が考案されていたが、一般 … 続きを読む