忘却の相互扶助

昨日、昼食のテーブルに着きテレビを眺めていたとき、ふと面白い話題が浮かんだ。

「これはエッセイにしてみたら面白そうだね」と、妻に話すと、「そうね、それは面白そう」と言ってくれた。

 

夜になり、そのままになっていたアイデアをメモしておこうと思ったが、何だったのか思い出せない。

一時間近くパソコンのWordの白い画面に向かって考え続けたが、どうしても思い出せなかった。

階下に下りて、ピアノの練習をしていた妻に「さっき何を話したか覚えてる?」と聞いてみたが、彼女も頭を抱えたまま思い出せないようだった。

 

そうなると、なんとも気持ちが悪い。

なんとか思い出そうとするうち、妻は「お風呂の湯船につかってゆっくり思い出してみる」と言って浴室に消えた。


私は、妻に期待したまま先に寝ることにした。

何かを思い出そうと頭を集中させていると、すっとそのまま寝つくことが多い。

目を閉じて、その日の昼の出来事や見たテレビの内容を順番に丁寧にたどっていった。

 

そうしているうちに、ようやく記憶にたどり着けた。

「あっ!」と声が出るようなインパクトのある内容ではなく、どちらかと言うと、じわっと心に残るような話題だった。

 

「あぁ、そんなことだったのか」とよみがえった記憶に安堵した。

「よし、これでひとつお話ができるぞ」と思い、頭の中でエッセイを書き始めているうちに眠りに落ちた。

寝入りがそんな流れだったせいか、何かを考えては思い出すような夢ばかりを繰り返して見て、朝がきた。


三時きっかりに目が覚めた。

さぁ、と起き上がってまずトイレに行く。

はて、「思い出したものはなんだったっけ?」と思うが、まったく思い出せない。

だいたい、いつも夢は思い出そうとした瞬間に逃げる。

灯りをつけずに目を閉じたままトイレの中で必死に思い出し、新たに記憶に叩きこむ作業をしない限り、顔を洗う頃にはすべて消え去ってしまう。

 

それを良く知っているので、「早く思い出さないと大変なことになる」と脳に血流を集中させる。

しかし、どうしても思い出せない。

モーニングコーヒーを入れてゆっくり頭を巡らせても、昨夜の「思い出せた記憶」がまるで嘘のように消えていた。

 

私は、昨夜湯船で一生懸命思い出してみると言っていた妻に期待した。

六時前、私が朝食の準備を終える頃に起きてきた妻に、開口一番で聞いた。

「思い出した?」

答えは否だった。

 

それから朝食までの約二時間、私たちはいつものようにゴミ拾い散歩に出た。

普段はいろいろ話をしながら歩くのだが、今日は一切発言禁止にした。

歩きながら思い出すことに集中するためである。

 

小一時間沈黙して歩いたころ、

妻が「あら、こんな時間から空いている。ほら見て!」と、朝七時から開いているスーパーの前で声を出した。

私はその発言内容は耳に入らなかったが、「発言禁止!」と制止した。

 

その直後、私もそのスーパーに気づいた。

「こんな時間に開いてるぞ」と思わず声にした。

 

「だから、そう言ったのに」

もう、お互いに思い出すのにへとへとだったのだ。

 

結局、思い出せなかった。

私は昨夜寝入る前に「思い出した」と思ったこと自体が夢だったのではないかと思い始めた。

もはや、それしか考えられない。

 

実際のところは分からない。

確かに、書こうと思いついたものは、その場でメモしない限りほぼ百パーセント忘れてしまう。

これまで何度も経験してきたことだ。


私も妻も、古希を超えたあたりから記憶力の低下をはっきりと感じるようになった。

一時期は小さなノートを携えて、何でもすぐにメモをするようにしたが、長続きはしない。

一番手っ取り早いのは、思いついたら妻に「この一言、覚えておいて」頼むことだ。 しかし、妻の記憶も長続きはしない。

 

かつての私は記憶力で困ったことはなかったし、妻は妻なりに私をあてにすることもなく暮らしていた。

 

それが変化を見せたのはお互いに古希を迎えたタイミングだった。 私が一足先に古希を迎え、まず健康・体力面ではっきりと「曲がり角」を感じるようになった。

 

妻は相変わらず元気だったが、三年後に妻も古希を迎えると、絵に描いたように突然力が抜けてほころびを見せ始めた。

標準的なパターン通りの変化を見せた妻に、ものごとは特別なことなく進んで行くものだと感じた。

 

最近、お互いに相手を頼りにすることが増えたように思う。

相互扶助」だ。

そして、お互いに相手のせいにすることも増えたように思う。

「夫唱婦随」だ。

「婦唱夫随」の場合もある。

 

こうやって、お互いに傷を舐め合いながら、罪を擦り付け合いながら生きていくしかないのだろう。

 

どうせ最後は二人の世界。

二人で忘れたなら、それはもう「無かったこと」。

二人が納得さえすれば、それでいいのだ。

 

コメントする