私は韓国と韓国人が大好きで、韓国人の理解者だと思っている。 しかしすべての日本人がそうではない。 だが、韓国人の感情のルーツを知れば、その思いは大きく変わるに違いない。 仕事でアジアの国々を何度も訪れたが、その中で私の心を強くつかんだのは、お隣の韓国の伝統演唱芸能だった。 ―― 「パンソリ」である。 その出逢いは韓国で直接体験したものではなかった。 韓国通いが始まってから親しくなった現地の友人がプレゼントしてくれた一枚のビデオCD、1993年制作の韓国映画 『西便制(ソピョンチェ)』が最初の出逢いだった。 その一枚で、私はパンソリに夢中になり、のめり込み、その後そのルーツを求めて韓国内を旅することになった。 『西便制』は、パンソリを学んで旅を続ける女性とその義弟を描く悲劇的なドラマ。 韓国では五人にひとりが見たと言われるほどの大ヒット作だ。 【『西便制』のストーリー要約】 1950年代、ドンホという少年が幼い頃、彼の村に男のパンソリ歌い手が養女を連れてやってきた。未亡人だったドンホの母と結婚するが、まもなく死別。養父となった男は、養男となったドンホに太鼓を、養女に歌を教えながら三人で旅芸を続ける。 しかしドンホは厳しい修行に耐えられず逃げだしてしまう。そのショックで声が出なくなった養女に、義父は過度に漢方薬を与えて彼女を失明させてしまう。それは「恨」に満ちてこそ真のパンソリができると思った結果だった。 やがて義父は「恨に埋もれず、恨を超えろ」と言い残して亡くなる。成人したドンホは義父と義姉が無性に恋しくなり、二人を探し歩く。ひなびた旅館で義姉と再会した彼は太鼓を叩き、彼女はそれに応えて歌う。このとき彼女は初めて「恨」を解きほぐされ、「恨」を越え、その歌は頂点を極める。二人は涙を流しながら、全身全霊でパンソリを演じる。互いを語り合うことなく一晩中パンソリを奏で続け、朝になって二人は何も言わずに別れる。ドンホは再び旅に出て、姉も旅館を後にする。 下の動画は、この映画の最初に出てくる「親子3人がパンソリの旅」をしている風景。 https://www.youtube.com/watch?v=y8lFJBu4fzY 下の動画は、視力を失った姉と再会した弟が太鼓を叩いてパンソリを演じるこの映画のクライマックス部分。 https://www.youtube.com/watch?v=kojKqZk_zHg&list=PL9OiFU3erz_ej8mfBNG_FxsSSfUy7L8p5 パンソリとは、18世紀初頭に韓国南部の全羅道を中心に発達した、歌い手と太鼓の叩き手が一対一になって共演する「語り歌」である。 歌い手が太鼓の調子に合わせ歌・言葉・身振りの3つを取り混ぜながら即興的に物語を演ずるフリースタイルの音楽だ。 基本的に短調で歌われるパンソリは、その発声のひとつひとつが芸術であり、深い感情の裏付けと磨き上げた表現技術の極致である。 パンソリを日本の音楽芸能にひとことで例えるなら、浪曲に講談や能、歌舞伎の要素を加えたような存在だ。 声帯だけでなく、胸、腹、背中、骨格、呼吸、そして人生経験までもが音になる芸能である。 そしてそこへ注ぎ込まれる感情の集約度・集中度は、人間の精神の限界を越えんばかりの迫力を持つ。 だからこそ、パンソリは日本人の心にストレートに響く。 初めて聴いても、まるで昔から知っていた世界の響きのように感じられ、心を奪われる ―― 誠に不思議な存在だ。 パンソリでは韓国人の特有の精神世界である「恨」(ハン)が感情の核を成している。 他人に対する「うらみ」だけではなく、自分自身が果たせなかった無念感や自責の念としての恨もある。 パンソリの世界では、これらの恨に正面から向かい合い、最後はそれを乗り越える事で、自らに打ち勝とうとする、強烈な「自己との闘い」が繰り広げられる。 韓国では様々な場面で韓国人の歌を聴いたが、その独特な感情表現は日本人の心に素直に、そして強烈に響き、例えようもない魅力を感じた。 恨は「閉じ込める」感情ではなく「燃やす」感情なのだ。 日本統治時代に韓国に広まった日本の演歌は、独自の発展を遂げて「トロット」と呼ばれる韓国演歌になっている。 しかし両者の感情表現には決定的な違いがある。 感情を抑えに抑えて歌う日本の演歌に対して、韓国の演歌は感情をえぐり出してぶつけるように歌う。 この韓国人に流れる血のルーツは、まさにパンソリにあると思う。 パンソリを聴いたとき、私は日本の演歌で聞いていた感情表現が如いかに「抑えたおとなしい」ものであったのかを思い知らされた。 ところで、韓国人の気質の根源を作くる「恨」という感情は、日本語の「うらみ」と理解しては絶対にいけない。 もっと複雑な精神状態を指している。 悲しみ、無念、怒りがあり、その上でそれに立ち向かい克服しようとする強い意志が燃え上がる ―― その全体を表すものだ。 これまで多くの韓国人と接し、お付き合いをさせていただいたが、私は韓国人が大好きだ。 日本と韓国は似て非なる存在である一方、深い心の共通項を持った存在でもある。 それだけに、一歩間違うと誤解しやすい間柄でもある。 そんな中で「恨」という感情をよく理解することはとても大切だ。 この根の深い強い感情が、韓国人を理解する上で時に障害とになることもあるが、同時に韓国人の素晴らしい魅力を形づくっている。 日本人をよく知る韓国人が「日本人は情がない」と言うことがあるが、韓国人の情の深さは、反転すれば強い敵意にもなる。 逆に言えば、日本人に反発する韓国人の感情があるとすれば、それは反転すれば、日本人にはないほど深い愛情にもなるのだ。 それさえ分かれば、日本人と韓国人は世界で最も理解し合える、素晴らしい間柄になれると私は確信している。
「韓国人の感情を映すパンソリ──恨(ハン)が教えてくれた心の深層」への1件のフィードバック