ウクレレに触れるのは、おそらく六十年振りだ。
孫の男の子の誕生日プレゼントとして、密かに準備している。
通販で購入したウクレレは七千円ほど。
作った人に申し訳ないくらい安いが、おもちゃではなく、大人が普通に使える本物だ。
誕生日まで三週間ほどあるので、まずは自分で弾いて問題がないか確かめることにした。 調弦の前に軽く弾いてみると、分散和音の懐かしい響きがパラリと広がり、遥か昔の記憶がよみがえる。 この音を聴くと、いつもハワイの浜辺の風景を思い浮かべたものだ。
コードの指使いも、四本の弦の音名もすっかり忘れている。 最近は簡単に調弦ができる安価なデジタルチューナーが売られているが、このウクレレには親切にも同梱されていた。 まずは説明書で四本の弦の音名を調べるところから始めた。
改めて確認して驚いた。 多くの弦楽器は、向かって一番左の弦が最低音で、右に行くほど音が高くなる。 しかし、ウクレレでは、最も低いのは二番目の弦だった。 調べてみると、一般的なウクレレでは一番左の弦が一オクターブ高い音になっているという。 見ると確かに二番目の弦が一番太い。 あのコロコロした独特な、どこか哀愁を帯びた音色は、この構造から生まれているのだ。
チューニングは驚くほど快適だった。 今は弦の張り具合を調整するつまみが「ウォームギヤ」になっており、滑らかに回る。 この値段でここまで整っていることに改めて感心する。 ヴァイオリンの木の穴に刺さった木製のペグを力任せにギシギシ言わせながら回して調整した頃の苦労の思い出し、その有難さが身に染みた。
六歳の普通の男の子が、ウクレレにどこまで興味を持ち、どれほど上達しようするのかは分からない。
それでも、最初から否定するのではなく、駄目元でもその子の隠れた可能性の扉を叩いてみたいと思った。
画像処理ソフトを使い、ネット上から弦の合わせ方やコードの押さえ方など、役に立ちそうな画像を集め、一緒に渡せる資料としてまとめている。
正直に言えば、六歳の子にウクレレを教えるのは簡単ではない。 きちんとした先生がいてレッスンを受けるなら別だが、おもちゃとして与え、親が少し使い方を少し教える程度では、習得は難しい。 それでも、もし適性がある子なら、何らかの反応が見えるはずだ。 親を差し置いての試みではあるが、あえて踏み出してみた。
六十年ぶりに手にしたウクレレと、その軽やかで懐かしい音色に触れているうちに、音楽をする感情再びが呼び起こされた。 昨年の春、同じく六十年振りにヴァイオリンを再開したものの、頸椎ヘルニアのため右手で弓を保持することが難しくなってしまった。 その点、ウクレレは弓を使わず指で弾く楽器なので、細かいことにこだわらなければ十分に楽しめる。
この子が、このウクレレによって音楽をする感情を目覚めさせるかどうかは分からない。 しかし、楽器演奏に熱意を示し、隠れた適応性があると分かれば、ウクレレに限らず、その方面で才能を伸ばしてあげられるだろう。
ひとつの分野で秀でた能力を育てられれば、それは一生の強みになる。
子どもの隠れた才能を引き出そうなどという気持ちは、自分の子どもたちには一度も持ったことがなかった。
孫の親である娘も、そこまで考える余裕はないだろう。 共稼ぎで幼い二人を育てていれば、生活を回すだけで精一杯で当然だ。
私が今、孫に対してそこまでの思いを抱くのは、子どもに何もしてやれなかった悔いが根底にあるのだと思う。 しかし、それだけだはない。 長く生き、多くの人の生き方を見てきたからこそ、確信を持って見えることがある。 ひとりの人間の可能性は、決して決めつけてはいけないということだ。
時には「駄目元」でもいいから、
機会を与え、反応を見なければ、真実は分からない。
そう思いながら、プレゼントの準備に余念のない日々を送っている。