声という生命の音 ― 人間の声はなぜ楽器を超えるのか

オペラ歌手の歌を聴くと、どうしてあのような素晴らしい声が出せるのだろうと、心から感心してしまう。 私はクラシック音楽のオーケストラを聴くとき、耳で聴くだけでなく、演奏者ひとりひとりの動きを食い入るように観察する。 楽器の演奏そのものにも強い興味があるからだ。


私自身はヴァイオリンを少しだけ弾くが、中学時代にはブラスバンド部に入り指揮を担当したことがあった。 そのため各種の管楽器に触れる機会があり、 当時は「ドレミファ」の音階くらいなら、どの管楽器でも自由に出せた。 二枚リードのオーボエはなかったが、一枚リードのクラリネットを始め、フルート、トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバなどである。 その経験のせいで、今でもオーケストラの弦楽器、木管楽器、金管楽器が見事に操られている様子は、まったく未知の世界ではなく、とても興味深く感じられる。

 

当時よく聴いていたレコードのひとつが、ベンジャミン・ブリテン作曲の『青少年のための管弦楽入門』だった。 オーケストラのすべての楽器の出番を順番に見せ、最後はフルオーケストラで壮大なフィナーレを迎える曲は、今聴いても鳥肌が立つ。 オーケストラの各楽器を知り、理解するためには絶好の教材である。


楽器に親しんでいた学生時代、私は逆に声楽にはまったく興味が湧かなかった。 人間の出す声は、「声」であって「音」ではない、そんな感覚を持っていたのだと思う。 それが変わり始めたのは大学に入り、同級生の下宿に遊びに行ったときだった。 一緒に住んでいたお姉さんの歌声を聴いたのだ。 その下宿は武蔵野音楽大学のすぐ近くにあり、お姉さんはその大学の声楽科の学生だった。

 

部屋には小ぶりのグランドピアノが置かれ、立派な音楽空間になっていた。 お姉さんは特に派手なところのない、おとなしい風貌だった。 それが一度歌声を聴かせてもらったとき、想像もしなかったほどの澄み切った声が、頭の上から天井を射抜くように鋭く響き渡り、腰を抜かしてしまった。 人間が「こんな綺麗で澄んだ声を大きく響かせるのか」と初めて知った瞬間だった。

 

その時以来、私はさまざまな歌の世界に触れてきた。 もっとも個人的にはカラオケ装置を「発明」し、カラオケが世に広まる以前の学生時代から歌謡曲を歌っていたので、社会人になってからも夜の世界では歌いまくった。 自分が、身体の底から感情を絞り出すようにして歌ったカラオケ十八番を収録したCDディスクを制作ほどの熱の入れようだった。


海外で触れた歌の世界で忘れられないのが、スペインのフラメンコと韓国のパンソリである。 

 

スペインのフラメンコは、ギターと歌と踊りの情熱的な世界だ。 鮮やかな衣装を身にまとった踊り手がハイヒールのかかとで床を叩きつけながら、身体全体を使った大きなアクションで踊る。 舞台の後ろには楽器を抱えた演奏者と、手を叩きながら歌を歌う男性歌手が何人も並び、素晴らしい歌声を響かせる。 聴いているこちらまで、「血沸き肉踊る」状態に引き込まれる。

 

韓国のパンソリは、歌い手と太鼓の叩き手が一対一で共演する「語り歌」だ。  歌い手が太鼓の調子に合わせて、歌・言葉・身振りを取り混ぜながらひとつの物話を即興的に演じる。 基本的に短調で歌われるフリースタイルの音楽である。 日本の芸能例えるなら、浪曲に講談や能、歌舞伎の要素を加えたようなもので、人間の声がここまで人の感情を深くえぐり出せるのかという極限を感じさせる。

 

https://mafnet.jp/blog/archives/1308

 


今では、器楽も声楽もまったく同じように私を虜にしてくれる。 むしろ声楽のほうが、その驚異と言う意味で私の心を捉えている。 いったい人間は、持って生まれた肉体を使って、どのように自らを「楽器」にして歌っているのだろうか。 声帯を振動させ、声道と呼ばれる「口腔・咽頭・鼻腔」という声帯より上の空間を共鳴させて発声させているらしい。 各部のコントロールや肺からの息の出し方によって、あの見事な声が作られるのだ。

 

声楽を生み出す人間の発声構造は、例えるなら管楽器に近い。 しかし楽器と根本的に異なる点は、楽器その物が生きていて、筋肉によって形や張力を微細に調節できるということだ。

 

素人がどれだけ頑張っても真似事すらできないような、美しく大きく響き渡る声が、人間の血の通った柔らかい肉体の内部から生まれるという事実は、何度考えても不思議でならない。

 

また同じ素晴らしい演奏でも、声楽は聴き手の胸に突き刺さるように響く事が多い。 それはおそらく、歌い手の感情が発声器官の筋肉や形状のコントロールを通して、直接声に影響するからだろう。 楽器も演奏の仕方で深い感情表現ができるが、楽器自体は変形できない。 人間という「楽器」は無限にその形状や性質を変えられるのだ。

 

だからこそ、フラメンコの歌は血を沸かせ、パンソリの絶叫は魂を揺さぶり、オペラのアリアは天井を突き抜ける。 人間の声は、ただの音ではない。 生きた身体が震え、感情が音に姿を変え響き渡る。 人間の身体と感情がひとつの生きた楽器なのだ。 そして生きているからこそ、人間の声は楽器を超える表現力を持っているのだ。

 

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