春になるとそこら中に色とりどりの花が咲き乱れる。
梅やモクレンから春は始まり、家々の庭先にはスイセン、ヒヤシンス、フリージア、パンジーが姿を見せる。
春本番となると、桃や桜が咲き乱れる。
桜が散り、八重桜が重たげに花を抱くころ、八重ヤマブキの濃い黄色が目を捉え、ハナミズキの木々が白や桃色の花をたわわにたたえる。
庭先にはチューリップ、ネモフィラ、スミレが加わり、春の色彩はさらに深まる。
可愛らしい白い釣鐘をいくつもぶら下げたドウダンツツジが咲き始めると、春の終わりが近い。 野山や民家の庭先を芝桜が華やかに染め上げるころ、寒さはいつの間にか香しい風へと変わっている。
季節の終わりを感じながら、真っ赤なツツジや藤が春のフィナーレを飾る。
どの花も、咲き始めてから散るまでの日数はせいぜい一週間。
花の命は本当に短い。
その短い時間の中で確実に受粉してもらうため、花は鮮やかな色をまとい、昆虫や鳥たちに「ここに蜜がありますよ」と呼びかける。
色は勝手に決めているのではなく、ターゲットの視覚に合わせて進化した「戦略」である。
興味深いのは、この「着飾る」という行為が、動物たちにも共通していることだ。 ただし植物と違い、動物は自ら相手を選び、生殖行為を行う。
そのため、アピールは雄と雌の間で直接行われる。
そして多くの場合、着飾るのは雄だ。
弱肉強食の世界では、目立つことは捕食者に狙われる危険を高める。
だから雌は地味な姿で子育てに専念し、雄が派手に飾って雌にアピールする構造が生まれた。
クジャクの羽、鶏のトサカ、ゴクラクチョウの飾り羽、ライオンのたてがみ、鹿や牛の角、カブトムシの角。
鮮やかにさえずる鳥の多くも雄である。
魚類や爬虫類や両生類でも同じ傾向がみられる。
ところが、人間だけは逆転している。
女性が着飾り、男性が選ぶという文化が長く続いた。
この逆転の理由を考えるとき、同じ霊長類であるサルの社会構造は示唆に富む。
ニホンザルやマントヒヒ、チンパンジーなど、多くのサルは、雄ザルがボスになる。 体格と攻撃性が強い雄が群れを支配するためだ。
一方、ボノボやキツネザルのように雄の攻撃性が弱い種では、雌が連帯し、雌がボスになる社会が成立している。
人類もまた、原始時代から男性が体格や攻撃性に優れ、狩猟を担い、社会の主導権を握った。 封建時代はその構造が文化として固定され、女性は従属的な立場に置かれ、着飾ることで「選ばれる側」に回った。
しかし現代、状況は大きく変わった。
社会道徳の変化、民主主義の浸透、男女の平等の理念。
男性の女性化、女性の自立、性の多様化。
文化が生物学的な性差を上書きし、人類はこの世で唯一無二の存在になりつつある。
その結果、成人の半数近くが生涯独身を選ぶ時代になった。
文化的・倫理的に見れば、人間だけが「生命の連続性」に逆らう方向へ進んでいるようにも見える。
これでいいのだろうか ―― 春の花々が必死で命をつないでいる姿を眺めながら、どうしても考えてしまう。