今日も静かな畑に囲まれた裏道を歩いていると、後ろから歌や話し声のようなものが聞こえてきた。 すっと追い越していったのは、背中にリュックサックを背負った男性が乗る自転車だった。 追い越されざまに後ろ姿の顔を見たが、首元まで含めて全体が真っ黒に見えた。
首元まで髪の毛だと思ったのは、その男性が明らかにアフリカ系の外国人で、肌がかなり濃い黒色だったからだ。 彼は片手運転で、スマホを「熱心に」見ていた。 近くに大きな機械工場があるので、そこで働く工員の通勤姿に違いないと思った。
彼に限らず、最近は「ながらスマホ」で自転車に乗る若者の姿を頻繁に出会う。 男も女もである。 自転車のハンドルに装着したスタンドにスマホを載せ、ナビ代わりにしているとか、音楽を聴いているのなら問題ではないと思うが、片手にスマホを持って操作しているのはもってのほかだ。 第一、今年四月から青切符制度が導入され、スマホを「片手に持っただけ」で違反が成立し、自転車違反の中でも最高額の一万二千円の反則金が課される。
違反は自転車だけではない、すれ違う自動車の運転手が片手にスマホを持ち、明らかに操作している姿もみかける。 これは従来から「携帯電話使用等(保持)」に該当し、普通車で一万八千円の反則金が課される。 その状態で事故でも起こせば、一発で刑事処分扱いになり、最悪一年以内の拘禁刑が待っている。
それなのに、その光景は決して珍しくはないという事実には驚いてしまう。 そもそも、乗り物を離れた状態では、ほとんどの人々は常にスマホを手にしている。 今や歩きスマホは当たり前だ。 通勤電車内のスマホ利用に至っては、ほぼ百パーセントの乗客が該当する。
この状態は明らかに中毒である。 若者を中心に、世はスマホ中毒にかかっているのである。 私は昔からの電気・機械マニアで、近年は電子機械と共に生きてきた。 家にいる時は、こうしていつもパソコンに向かっている。 しかし、「ながらスマホ」は絶対にしようと思わないし、電車でスマホするくらいなら、目をつぶって休息し、帰宅後にパソコンに熱中できるパフォーマンスを養生する。
スマホ中毒の入り口は、甘く魅力的でハードルはとても低い。 子育て中の親は、幼少期からスマホに惹きこまれそうになる子供たちの制御に頭を悩ませている。
私はかつて、一日六十本吸うチェーン・スモーカーの「タバコ中毒」だった。 一方、若い頃は一晩でビールをワンケース(二十本)空けた事もある大酒飲みだが、「アルコール中毒」ではない。 だから「中毒」の意味を身をもってよく知っている。 タバコは吸わないと気が狂うほど吸いたくなり、他になにも手がつかなかった。 しかし、酒はなければないでどうということはなかった。 自分で制御できるか否かが、「熱愛」か「中毒」かの違いだ。
これだけ多くの人がスマホ中毒に犯されていると、社会的に非常識が「異常」とは見なされにくい。 昭和の時代の喫煙がそうだった。 私が新入行員だったころ、銀行の窓口の係を担当して、事もあろうにタバコをくゆらせながら来店のお客様に「いらっしゃいませ!」と元気に声を掛けていた。 当時、その姿に眉をひそめる人は誰もいなかったと思う。 電車の駅のホームを歩きながら線路にたばこをポイ捨てしたり、地下街で歩きタバコする人はいくらでもいた。
私はつい最近、年甲斐も無く、=LOVE(イコールラブ)の『劇薬中毒』に犯されてしまった。 お断りしておくが、私の孫のような娘たちの容姿に心を奪われたのではない。 この歌の歌詞でもなく、この曲そのものが七十四歳の私の胸に飛び込んできたのだ。 最近のJ-POPは、まったく私の心には噛み合わず、すべからくスルーしてきたのだが、この歌を初めて聴いたとき、私の心は予想もせず大きく揺り動かされた。
https://www.youtube.com/watch?v=Bco8bY9r_H4
今ふうに言うと、「ノリノリ」なのだ。 思いかけず、私は劇薬中毒になってしまった。