燃え盛る季節の後で

私の人生には、「ほどほど」という加減がなかった。

ひとたび火がつけば、空の雲を焦がすほどに燃え盛る。 学生時代から、やると決めたことには全エネルギーを注ぎ込み、我を忘れて未知の世界へ突き進んできた。

 

その異常なまでのこだわりと探求の軌跡は、四十五年前に立ち上げた古いホームページに今も残っている。

寝食を忘れて没頭したアマチュア無線、夜空を見上げ続けた天文。 素人の域を超えて積み上げた記録の数々は、私の熱量そのものの証明だった。

 

https://www.mafnet.jp/roman/

 

今では更新も途絶え、荒れた廃墟のようになっているが、確かにあの場所を拠点に、私は情熱を燃やし尽くしてきたのだ。

 

だからこそ、古希を過ぎ、人生の最後の拠り所であった仕事から退いたときの衝撃は、想像をはるかに超えていた。

大きな劇場の舞台で華々しく歌い踊っていたある瞬間、突如として照明が落ち、客席の観客が一人残らず消え去ったかのような ―― そんな喪失と虚無が押し寄せた。

 

しばらくの間、私は抜け殻のようになり、意味もなく家の中を彷徨った。 社会的な舞台を失い、拍手を失い、それでもなお体内で燻り続ける莫大なエネルギーの行き場を探して、暗闇の中でもがいていた。

 

その崖っぷちから私を救い上げてくれたのは、遠く九州に住む三歳年下の従妹だった。 何かのきっかけで始まったLINEでの他愛のないやり取り。

何年も会っていなかった彼女は、昔と変わらず「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼びかけてきた。

 

社会的な肩書をすべて剥ぎ取られ、存在理由を見失っていた私にとって、その無条件の響きは五臓六腑に染み渡った。 その姿はいつの間にか、私の愛する映画『男はつらいよ』に登場する、不器用な兄をどこまでも信じ続ける妹・さくらに重なっていた。

何者でもない、ただ一人の「お兄ちゃん」へと引き戻されたことで、凍りついていた心は静かにほどけていった。

 

やがて、失った舞台の代わりに、私は「書くこと」に出会った。 彼女との対話で自己を取り戻した私は、今度は文字を通じて自分自身と向き合うことに没頭し始めた。 その延長線上に、今の私がいる。

 

今の私は、すっかり地に足をつけ、穏やかな毎日を過ごしている。 ただ、決定的に以前と異なるのは、あの沸き立つようなエネルギーの高揚が、もう二度と起こらないということだ。

振り返れば、炎のように燃え盛った日々は遠く霞んで見えている。 しかしそこには、とことん燃え尽きたという、後悔のない確かな足跡だけが残っている。

 

もし、あの凄まじい熱量を他の学問や芸術に注いでいたら、違う人生があったかもしれない。

だが、人間は理屈通りにはいかないからこそ、面白いのだ。

 

回り道をし、不器用にしがみつき、激しい炎をくぐり抜けたからこそ、この静かな境地に辿り着けた。

燃え盛る季節は終わったが、灰の中に残る微かな熱を愛おしむような今の暮らしを、私は深く気に入っている。

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