人生に行き詰まって立ち止まることは、誰にでもあることだ。
本当に自信があったら、立ち止まったり振り返ったりはしないだろう。
だが、現実にはなかなかそうはいかない。
面倒なことに、自信と不安は常に背中合わせだ。自信とは、不安を乗り越えようと自分自身に言い聞かせる言葉の裏返しでもあるからだ。
人間には他人からの承認欲求がある。それが自分の抱える不安を消してくれる一番の味方だと知っているからだ。他人から理解されたいと願うのは、人の本能と言ってもいい。
だけど、焦る必要はない。
人が真に必要としている理解者は、けっして多くはないのだから。
たった一人でいい。
たった一人、どこからか奇跡のように現れて、自分の価値に共鳴し、こんな自分を必要としてくれる人 ―― そんな存在こそが、自分に勇気と前に進む力を奮い起こさせてくれる。
自分は昔から自信家で、周りの目を気にすることもない、可愛げのない男だった。
歳を重ねて昔を振り返ったとき、私はあの頃の自分にも、まるで天から降りてきたかのような「一人の理解者」が訪れていたのだと気づくようになった。
その人は私の価値に共鳴し、私を必要とし、私から何かを得ようとし、そして私に何かを返そうと心を砕いてくれていた。
だが当時の私は、その姿の意味や、そこに込められた相手の気持ちに思いを寄せることなどなかった。
ただ前だけを見て突っ走ることに夢中で、寄せられた好意をどこか軽い気持ちで受け止めていただけだったのだ。
穏やかな生活を送るようになった今、あのときその人が寄せてくれていた温かい思いが、ひしひしと胸に伝わってくる。
なぜあのときその心に気づき、こちらからも丁寧に心を通わせなかったのだろうと、悔やまれてならない。
その思い出深い人は、もう何年も前に他界してしまった。
そんなことがあってから、私はこれまでの人生で出会ってきた人たちを、注意深く思い返すようになった。長い道のりの要所要所で、私にとっての「たった一人の理解者」となってくれた人たちの姿は、今や私の人生の宝物だ。
いつの間にか私は、掛けられる声の温もりや思いを、肌で感じ取れるようになっていた。
ありがたいことに、すっかり地味な生活を送るようになった今の私に対しても、ほっとするような言葉をかけてくれる人がいる。
人生の余白の中をとぼとぼと歩いている私に届く肯定の言葉は、「それだけで十分だ」と、深い感謝とともに心に染み入るひとことなのだ。
人を動かし人を支えるのは、一人の理解者の言葉だ。
そういう言葉に耳を傾けられるような人は、きっとその人から人生を飛翔するより大きな力を貰うことができるに違いない。