六つの声調が育てる感性 ― ベトナム人が歌う日本語の美しさ

TVでベトナム人の日本留学経験者たちを紹介する番組があった。 驚いたのは彼らの歌のうまさだった。 彼らは日本で日本の歌の魅力にとりつかれ、帰国後も日本の歌を歌い続けているとの事だ。 声の綺麗さにまず惹きつけられたが、聴いていて更に驚いたのは、言葉ひとつひとつの表現力だった。 その丁寧な表現力にぐいぐい惹きつけられてしまった。

 

歌っている様子が何人か紹介されていたが、どの人も下手な日本人より全然上手でびっくりだ。 これはNHKのど自慢大会だったら絶対鐘が鳴るだろうと思って聴いていたら、まさにNHKのど自慢大会に出演して合格の鐘が鳴らされている録画シーンが映し出された。

 

私はかつて24年前に初めてベトナムを訪れた時に、すごく親近感を覚えた記憶がある。 ベトナムは国土の8割以上で稲作が行われている。 気候も温暖湿潤で二期作は当たり前で、米の輸出国として有名だ。 水が豊富なので何処までも田んぼが続く農村の景色は、昔の日本の田舎の風景を連想させた。 唯一目立った違いは、機械化がされておらず、あちらこちらで田んぼの中で牛が農具を引く姿が見られた事だった。 

 

人々の素朴で落ち着いた雰囲気や、米を主食とした野菜をふんだん取り入れたハーブの香り高い食文化は、日本人には馴染み易いものだった。 ダン・バウ(Đàn bầu)と言う弦が一本だけで倍音を操る一弦琴はベトナムを代表する伝統民族楽器であるが、繊細で美しい音の響きは日本人の心に響くものだった。 私はダン・バウに一目(耳)惚れして、一台購入して持って帰って来た位だ。

 

(24年前に一目惚れして大切に持ち帰ったダン・バウ(手前の楽器))

  

私は当時、ベトナム語に大変興味を持っていた。 是非学びたかったのだが、ベトナムに仕事で出張する機会は限られていたので断念してしまった。 興味を持った理由でもあり、学習を断念した理由にもなったのは、私が当時興味を持っていたアジアの言語の中でも飛び切り難しかった亊である。

 

それは「六声」と呼ばれる6つの声調(トーン)を持っていたからだった。 例えば「マー」と言うひとつの音の発声が「同じ高さ・下げる・上げる・ぐっと下がってから上げる...」などの6つのトーンの変化によって、全く意味の異なる6つの単語になってしまうのだ。 中国語も四声あるので発音には気を付けなければならないが、ベトナム語は更に2つも違うトーンがあるのでマスターするのはとても難しそうだ。

それに対して日本語は、単語の中の複数の音のどれかにアクセントをつける(高くするか低くするか)と言う変化をするだけだ。

例えば意味の違う単語、「同志」と「動詞」は、「ど・う・し」の3つの音のどれにアクセントがあるか(高いか)どうかで区別しているだけで、「ど・う・し」の3つの音自体は同じで変化しない。 これが日本語の特徴(ピッチアクセント言語)である。

 

それに対しベトナム語の声調変化と言うのは、その3つの音「ど・う・し」がそれぞれくねくねと独自に高さが変化(6通りのどれか)するのである。 理解しにくい所なのだが、それだけ日本人にとって6声調変化言語と言うのは難題だと言う事はお分かり頂けると思う。

 

私はベトナム人の日本の歌のうまさはこの言語構造の違いが影響していると思った。 ベトナム人の歌う日本の歌は明らかに一音一音噛みしめる様に丁寧に歌っているように聴こえる。

 

そもそも日本人が歌を歌う時は、苦労して一言一言に感情を込めて一音一音を大切に歌う様に努力をしている。 それが歌の上手・下手を分けているのだが、その理由は話し言葉にそう言う物は要求されていないからだ。 歌う時には意識して、いわば声調に似たような微妙な変化を作って感情を表現している。

 

ベトナム人はそこがもともとベトナム語のお陰で敏感な感性を持っている。 だから彼らが歌う日本語の歌は、外国人が歌っているとは思えず、時に鍛えた日本人より上手に微妙な一音一音の発声をコントロールしていると感じるのだろう。 見事にす~っと惹きこまれて行く事が多くて本当に驚いてしまう。

 

私があと20歳若くて、これから何度となくベトナムを訪れる機会を作れるのなら、きっとベトナム語習得の挑戦をしているだろう。 なにせ日本には現在60万人の在日ベトナム人がいる。 先生には事欠かないはずだ。

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