夢が想い出へと変わるとき ― 恥じない足跡へ

仕事に振り回されていた頃は、休みが欲しい、自由な時間が欲しいと思いながら必死に働いていた。 寸暇を惜しんで仕事に没頭する仕事にすべてを掛けて生きる人もいると思うが、私はいつも「次に挑戦する自分の休日のプロジェクト」の事で頭が一杯だった。 やりたい事が山ほどあって、こんな事もできる、あんな事もできると夢を膨らませながら、いつも休日みが楽しみで待ち遠しかった。

 

ところが歳を取って仕事から引退すると、確かに休みも自由な時間もたくさんあるのだが、その歳ではもう出来る事には限りがある。 そもそも気が付くとそう言った何かやってやろうと言う夢自体が、いつの間にか遠い存在になっている。 その代わり、想い出と過ごす時間がたくさん生まれ、その想い出たちを大事に抱きながら過ごしている事に気が付く。

 

若い時に抱いた夢も、今湧き上がる想い出も、「前を観るか・後ろを観るか」だけの違いで、いずれも人間らしい心の世界だと思う。 若い内は無限の可能性を感じながら前しか見ないし、歳をとれば、前には巨大な壁が立ちはだかり、後ろを見るしかない。

ただ、いつまでも前を見て突き進み続けている人達もいる。 例えば世界の大物現役政治家達だ。 歳をものともせずにバイタリティ溢れる行動力は、とてもその歳の人間には見えない。 また手に職を持った人達や創作意欲に燃える芸術家の中には、やはり歳を感じさせない人も多い。 自らをモチベーション高く鼓舞して熱中して取り組める仕事が持つ力だろう。 しかし彼らも注意深く見ていると、自分の人生の幕引きを意識している様子がうかがえる。

 

そういう観点では、どんな仕事でも程度に差こそあれ、自らに活力を与えてくれていると思う。 私自身も、現役引退を決意して手を引いた事が自分の気持ちの持ち方に与えた影響は大きかった。 明らかにその時を境に、私の中でそれまで抱いて来た夢が想い出に姿を変え始めたからだ。 あの時引退しないで事業を続けていられたら、更に夢を膨らませて突き進んでいたかもしれない。 ただ、それができないと感じたから引退を決意したので、事の真相は不明だ。

 

いずれにしろ、人間は遅かれ早かれ必ず立ちはだかる巨大な壁にブチ当たる時が来る。 仕事から離れてからそこまでの時間は決して長くないはずだ。 もうそこからは反省も後悔も言い訳も許されない、自分と言う人間の最後のあからさまな姿を胸を張って見せる時間だ。 ここからの時間は、ゆっくりでいいから、しっかりとした、「誰に見せても恥ずかしくない」足跡を残して行きたい。

  

昔は、可能性が無限にある自分がいて

人生の選択肢が数えきれないほどあった

 

そして未知の世界への不安よりも

やって来る未来を目指す希望が

夢となって心を満たしてくれていた

  

今は、可能性が大きく限られた自分がいて

人生の選択肢はほとんど無くなっている

 

だけど未知の世界への憧れよりも

通って来た過去を振り返る日々が

想い出となって心を満たしてくれている

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