心に染みる神のまなざし、仏の教え

海外に旅行すると、教会や大聖堂、モスクや寺院と言った各国の文化を形成する宗教ごとに礼拝を行う場があり、そこには多くの国民が日常的に訪れてお祈りをしている。 それに較べて今の日本人は、日常生活で神仏への信仰に関わる事は極めて限定的だ。 しかし、旅行で神社仏閣を訪れた時や、普段でも近所の神社やお寺に立ち寄ると、妙にあらたまった気持ちになるのは日本人である事を感じる瞬間だ。 やはり心の何処かの精神世界に仏や神を敬う気持ちを持っている。

 

そして、日頃ほとんど神仏に接点がない人も、冠婚葬祭となると申し合わせたかのように神仏の世界に入り込んで包まれる。 初詣となると神社に詣でる。 葬式は導師にお経をあげてもらう。 各家には仏壇があって線香をあげて冥福を祈る。 それぞれの地方のお祭りは地元の神様抜きではあり得ない。 誰でも彼岸、盆、命日にはお墓参りで線香をあげる。 結婚式でも和装で神前式は根強い人気がある。

 

日本では早くから神仏混合され、人の宗教への関わり合い方も独特な形になっている。 海外ではお祈りの場だが、日本では儀式の場と言う側面が大きい。

 

私も特に信心深い人間ではないので、現役時代には神社仏閣でお祈りをした記憶はほとんどない。 結婚式と家族・親戚・知人の葬式でしか関わった記憶はない。

 

それが70歳を過ぎた頃から毎朝地元の神社やお寺を訪れてお祈りを捧げる様になった。 正確には神様・仏様へ「お礼」を捧げる為にだ。 最初の内は懺悔の思いで「ごめんなさい」と謝罪をしていたが、いつの頃からか「ありがとうございます」とお礼に切り替わった。 私の場合は「~をしてください」とか「~をお願します」と言ったお願いをすることはない。 自分が物を乞う姿は好きではないし、今手にしている幸せにただ感謝をしたい。

 

毎朝の散歩コースは八つ決めてあるが、どのコースにも一か所は神社、寺、地蔵尊などお祈りの場があるように設定してある。 こんなに毎日神仏にお礼を捧げる日々が来るとは全く想像していなかった。

 

自分の心を浄化する場所だと思っている。 神道でも仏教でも、しきたりに従う事で自分の心の奥に触れられるような気がする。 多分どの宗教でもそれは同じなのではないかと思う。

 

私は海外生活体験を通して、キリスト教・イスラム教・ヒンズー教とも接して来たが、どの宗教にも惹かれる物があるのは、そこに哲学性があるからだと感じた。 しかし仏教は他のどの宗教よりも強く哲学性を感じる。 「世界と言う物はどう理解すれば良いのか」とか「そこでどう生きたらいいのか」と言った問いにヒントや答えを与えてくれる、哲学その物の様に感じる。

 

特に仏教が他の宗教と較べて真に哲学の世界を説いていると感じる理由は、「神」の存在がない点だ。 他の宗教には、崇拝する神がいて人間を超えた存在として崇拝されているのに対して、仏教では人間が悟って到達すべき最終目標として仏が存在している。

 

神は日々崇拝して礼拝するものだが、仏はいつも心の中に持ち、自分が成長して目指す心だ。 そこに日本人の日常生活における仏教の位置づけの特殊性の背景があるのだろう。

 

私がいつも神社やお寺を訪れて神様・仏様に感謝の気持ちを伝えているのは、過ち多き人生を歩んで来たにも拘わらず、今幸せな自分がいるのは、神様を大切にする気持ちと、仏様の教えが少しでも自分を成長させてくれたと思うからだ。 神仏は自分の心の生き写しであったと思う。 そういう自分を冷静に振り返る哲学がなかったら、自分が歩いて来た道や、自分に関わってくれた人達の存在意味も理解できなかったと思う。

 

神仏混合の日本の文化は、日本人として本当に誇らしい存在だ。 日本人に生まれて本当に良かったと思う。

 

コメントする