年の瀬が迫って来ると、クリスマス・第九・紅白の話題が飛び交うようになる。 お馴染みの季節を感じる年中行事だ。
今年も年末恒例の第九コンサートに行って来た。 ベートーベンの交響曲第九番である。 合唱隊が200人近くの大人数だったので凄い迫力で圧倒された。 最初に大きな声で歌い始めたテノールの声が広い会場に朗々と響き渡るところは感動した。 もちろん一番圧倒されたのは大合唱隊が一斉に歌う所だ。 その歌の圧力に自分が押しつぶされそうだった。
(劇場側から撮影が許可されたカーテン・コール時に撮影したもの)
世界で年末に第九だと言って騒いでいるのは日本だけだ。 NHKが全国放送でNHK交響楽団の演奏を通して、年末行事として定着させた歴史があるもので、日本独自の文化となっている。
NHKの年末の恒例行事と言えば、第九の他に「紅白歌合戦」があるが、これは時代と共に歌と歌手が入れ替わり、高齢者にとっては、昔のように楽しめなくなってしまった。 私には、白組紅組共数人ずつしかお馴染みの歌手はいない。 それに対して第九は何年経っても第九で全く変わらない所がいい。
今回鑑賞した演奏会は、都内の大きなコンサート・ホールで私の席は3階席だった。 ステージまでの距離は遠くなるが、上から全員が重ならないで見えるので、このような奥行きのある大編成の演奏には絶好のポジションだった。 特に私は各楽器の演奏状態に凄く興味があり、各楽器ひとつひとつに注目して見たいのでうってつけだった。
興味を惹いたのはオーケストラの編成だった。 後ろに大合唱隊が入るので普通の楽器配置では並ばせようがない為、特別の配置で目を惹いた。
まず低音を弾くコントラバスがステージの番左に来ているのが目を惹いた。 いつもと左右逆なので凄く目立ったからだ。 そしてその右にチェロが配置されている。 従って通常その位置を占めるセカンド・ヴァイオリンのスペースがないので、指揮者の右側の通常ヴィオラのポジションにセカンド・ヴァイオリンが並んでいた。 そしてその奥側の通常チェロが並ぶポジションにヴィオラが入っていた。
打楽器は右端の通常コントラバスのポジションに配置、そしてその前にトロンボーンやトランペットが配置されていた。 大合唱部隊の為に舞台奥行きを確保する為の配置で、とても興味深かった。
しかし、毎回TVを含め第九のコンサートを聴くと、合唱部隊がとても気の毒だ。 長い三つの楽章の間、眩しい照明に照らされて観客に姿をさらしたまま、身動きもしないでただ座って待っているのは、本当に拷問と変わらないだろうと思う。 第四楽章になってもしばらく待たされた後、一斉にさっと立ち上がってやっと出番が来る。 高齢者の私からすると、目眩を起こしそうで心配だ。 それから元気一杯に堂々と歌い上げて華々しく終わるが、演奏会の間の殆どは拷問だ。
もちろん第九に限らず、オーケストラも楽器によって出番の頻度が大きく変わる。 ファースト・ヴァイオリンは殆ど弾きっぱなしであるが、多くの曲では打楽器の出番は限定的で少ない。 トライアングルなどの特殊な楽器に至っては、長い曲で「チーン」一発だけの事もある。 ただ、あの正面から姿をさらしている合唱隊の忍耐は並大抵の事ではないだろう。
実は昨年の12月は、住んでいる地元で開催された小規模な第九演奏会に行った。 今回の演奏会の規模と較べたら全く比較にならないほどの小編成だった。 もちろん十分楽しませてもらったのだが、やはり人間の声の合唱と言うのは規模が大きくなると想像を絶する迫力がある。 今年聴いた第九は、ベートーベンが切り開いた大スケールで演奏する壮大なシンフォニーの世界の価値を改めて感じる体験となった。
最初の男性バス・バリトンの独唱の声があの広いコンサート・ホールの空間に朗々と響き渡った時は「声楽家の声ってこんなにパワーがあるんだ」と本当に痺れた。 その後200人近くはいると思われる女性を中心とする大合唱の声が高らかに重なる所になると、「ガツ~~~ン」とこちらの胸に飛び込んで来る響きに、自分の心臓が押し潰されそうになる様に感じるインパクトがあった。 いずれも人間の声ってこんなにパワーがある物なのだと改めて思い知らされた。
そして最後は人間の声とオーケストラの楽器の音が完全に一体となって溶け込み、聴衆を完全に感動の渦に巻き込んで終わった。
演奏が終わった後のカーテン・コールはいつまでも続いた。 本当に一年の終わりに相応しい演奏会だった。 年末の第九は日本が世界に誇れる素晴らしい文化だ。 もしベートーベンが生きていて、西洋で描かれる世界地図では右端にある地の果ての小さな国で、こんな事が起きている様子を知ったら、どれだけ感激したであろうか。
