整った街と乱れた心 ― ゴミが暴く人間の裏側

毎朝ゴミ拾い散歩を始めて半年以上経ち、大分「経験」を積んだ所で、会得した道路などに捨てられたゴミの知見についてご紹介しようと思う。

 

まず捨てられているゴミの内容についてである。

 

多い物から挙げると、なんと言ってもタバコの吸い殻が圧倒的にNO.1だ。 拾った量(かさ)では大変小さいが、腰をかがめてトングで拾った回数で言えば、全ゴミの99%になるのは間違いない。  本数で言えば12時間近いゴミ拾い散歩で、数百本になる。 興味深いのはその90%以上が電子タバコだと言う点だ。 昔ながらの紙巻きたばこは本当に少なくなった。 私が紙巻きたばこをプカプカ160本吸っていた時代とは隔世の感がある。

 

続いて多いのは、そのタバコの空き箱である。 これは拾いやすいし個数が少ないので全然大変ではない。

 

タバコ・タバコの空き箱に続くのは、意外なものだった。 使い捨てマスクである。 あんな小さくてかさ張らなくて、ポケットにしまっても何の問題もない物を、なぜわざわざ投げ捨てるのだろうか? 理解に苦しむ。

 

毎回あるのがコンビニで買った食べ物のプラスチック・ケースとドリンクの紙コップだ。 カップ麺の空カップも多い。 続いて手袋、タオル、雑巾がほぼ同じ頻度で見つかる。

 

これは一度しかなかったがパンツもあった。女物のパンティもあった。 あと使用済みで縛った避妊具も何度かあった。 車の窓から捨てられたのだろう。  「そうか、そんな事してたのか。」と想像させられる。

 

ここまでの話は「燃えるゴミ」だけだ。 これらを入れるとレジ袋一つでは足らず二つになる時も良くある。

 

これとは別に「燃えないゴミ」やドリンクの容器がある。 ペットボトルとジュースやビールの空き缶、スポーツ・ドリンクの等の瓶だ。 これは毎日別のレジ袋が一杯になる位ある。 物が大きいし目立つだけに本当に呆れてしまう。

  

ここまではゴミの内容の話だったが、今度はばら撒かれている場所の話だ。

 

タバコはなんと言っても駅周辺の通勤路に多い。 朝夕の通勤サラリーマンが歩きたばこをしているのが目に浮かぶ。 一度拾っている所をタバコを吸いながら通りかかった若いサラリーマンがいた。 すれ違う時あわててタバコを私から反対側の手に持ち替えて隠していた。 時々吸い殻に赤い口紅が付いたものも落ちている。 歩きたばこ・ポイ捨ての女性もいるのには驚いた。

 

国道など交通量の多い道路の車道の両端はタバコの山だ。 雨水などで道路の傾斜に沿って縁石の内側に張り付いてずっと並んでいる。 あきらかに走行中の車の窓から投げ捨てられたものだ。 歩けば歩いた距離だけ見つかるので、その気になれば、拾う本数は駅周辺の通勤路より遥かに多くなる。 中には同じ銘柄のタバコがまとまって10本近く捨てられている事が良くある。 これは車内の灰皿を窓からひっくり返して捨てた物に違いない。 

 

この世からタバコを吸う人がいなくなったら、私のゴミ拾いの楽しみはほとんど奪われてしまうだろう。 シンガポールの様に路上喫煙は罰金、投げ捨ては高額罰金が課される様になったら、様変わりするだろう。

 

道路沿いの空き地や、人が住まなくなった廃屋の周りはゴミ捨ての宝庫だ。 特にジュース・ビールの空き缶とペットボトルは思いっきり投げ込まれている様子がはっきり分かる。 そして放り込まれているゴミが捨てる人の安心感を呼んで、更なるゴミの投げ込みを呼んでいる様子が良く分かる。

 

歩道脇の簡単な柵の先が溝の様に窪んでいる所が良くあるが、簡単には入れないし手も伸ばせない所なので集中的に狙われている。

 

これに対してほとんど捨てられてない所が二つある。 閑静な住宅街と公園の中である。 やはりみんな人目を気にしている様だ。 概して言うとはっきりとした法則性がある。 綺麗に整った環境の場所にはゴミは捨てられない。 そして汚くて、ゴミが放置されているところには、「ゴミがゴミを呼んで」無尽蔵にゴミが捨てられている。

 

みんな綺麗ごとを言って恰好付けて暮らしているが「一皮剥けば、裏では人に隠れてこんな事を平気でやっているんだ」とそのジキルとハイドのような二面性に愕然とする。

 

「最近の日本は、昔と較べて人々の文化度は随分上がった。さすが先進国だ。」と言われる事もあるが、こんなゴミ捨ての実情を見ると決して胸を張れるような状況ではない事が良く分かり、何か裏切られた思いがする。

 

ただ私も昔は平気で捨てていたので、偉そうには言えない。 「私も昔はそうだった」と自分に言い聞かせて、黙々と拾い続けている。

 

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