今年頂いた年賀状の中に嫁いだ娘の義父母からの一枚があった。 「いつも孫がお世話になっています。」と挨拶が書いてあった。 一瞬何の事か分からなかった。 娘が産んだ一男一女の孫は可愛くて本当に宝物だ。 次の瞬間、その孫たちの事を言っているのが分かった。 娘の結婚相手は一人っ子なので、その義父母にとってはたった一人の子供、しかも息子の子供なのだから孫を「自分達のもの」と思ったに違いない。 私は「何を言う、血と肉を分けたのは娘なんだぞ」「旦那は作っただけじゃないか」と思った。 「私たちの孫なのに・・・」
その話を妻にしたら、昔の思い出話をされた。 私達に一男一女の子供が生まれたばかりの頃、私の父がその孫達の顔を見て、「女の子は自分の家系の血だ。男の子はお母さん(私の母)の家系の血だ!」と嬉しそうに言ったそうである。 その時、妻は自分の両親の家系の話は出なかったので、口には出さなかったが「なんだ、私は腹を貸しただけか」と思ったそうだ。
俗に確証バイアスと呼ぶらしい。 要は実際には違っていても思い込んでしまったり、自分が期待しているように物事が見えてしまう事だ。
私は恋愛には確証バイアスが重要な働きをしていると思う。 一目惚れは最初の瞬間から心を奪われるのだが、多くの場合はちょっとした好意が恋愛感情に変わって行く事が多いだろう。 その過程では多かれ少なかれ、自分の願望が相手の実像に重なり始め、それが他の部分まで自分の願望に叶っているように見えて行き、やがて相手のすべてが実際以上に良く見えて、最後は唯一無二の存在に見えてしまうのだ。 確証バイアスの成せる業である。
一目惚れもドラマチックに聞こえるが、相手の事を知りもしないのに自分の理想像に重ねて勝手に思い込んでしまい、そこからは全てが輝いて見えてしまう、手の付けようが無い確証バイアスの成せる業である。 かく言う私もその口だった。
確証バイアスの結果成立した熱い恋も、いつかは冷静になって醒める。 醒めてお互いに興味を失ってしまう二人もいるかもしれない。 しかしそれまでの時間でお互いに相手を良く知り、深く理解し、確証バイアスが掛かっていなかったら知ろうともしなかったお互いの真の人間性を知って相互理解が深まれば、そこで改めて「醒める事のない穏やかな愛」が始まる二人もたくさんいるに違いない。
しかし良い事だけではない。 私はこの確証バイアスで大きな失敗をした経験がある。 私は大学卒業後、誠実で懐の深い大企業にお世話になったお陰で、世間の荒波に身をさらすような事はないまま50を過ぎて早期退職をした。 新天地を求めて幾つかの会社を経験していた時に、昔の後輩からある誘いを受けた。 ある「ネットワーク・ビジネス」だった。 私はそれまである意味温室なような会社で苦労なく育って来た事もあって、そう言ったサイドビジネスの世界には全く関心もなかったし、全く知見もなかった。
後輩がその世界のベテランと言う人と一緒に私に会いに来て、扱っている商材のデモンストレーションと説明をしてくれた。 初めて見聞きする素晴らしい製品の話を、私は疑う事もなく素直な気持ちで聞いた。 もともと情熱派でスイッチが入りやすい性格の私に火を着けるのはそんなに難しい事ではなかったと思う。
私は単純な事にその場ですぐに契約書・入会書に署名をして、彼らのその商材を扱った販売活動に参加する事にした。 その時点でネットワーク・ビジネスの何たるやはほとんど理解していなかった。 私はそこから新しい世界を学び、素晴らしい世界だと感動するようになると、そこからは「確証バイアス」の暴走が始まった。
最初に知った情報が私の中でぐんぐん育って重要化し、周りの事は一切気にせず「自分のやっている事は素晴らしい事なのだ」と固い信念を持つようになった。 そしてその勢いでそのビジネスを、知っている限りの友人・知人に伝えようとした。
ご存知の方も多いと思うが、そうやって自分の人間的ネットワークにその商材に対する感動を次々と伝えて自分と同じような仲間を増やして行く度に報酬として手数料収入が入って、良い製品を広めるだけでなく、関わった人達全員を豊かにすると言うのがネットワーク・ビジネスの概念だった。
未だに誤解される事があるようだが、ネットワーク・ビジネスは、かつて世を騒がせた悪質な詐欺集団システム「ネズミ講」とは全く異なる。 人を騙したりインチキ製品を扱ったりはしない、きちんとしたビジネス・モデルだ。 ただ個人が人から人に話を伝えて行くので、不信感を持たれたり敬遠をされたりして、最悪の場合人間関係上のトラブルに発展しかねない事があるのが悩ましい点だ。
さて、私は仕事を持っているので、あくまでも今やっている仕事とは別に副業として行うのだが、どんどん自分のネットワーク(販売先のつながり)が広がり、暇を見つけては色々な説明会、講演会、講習会、イベントにも積極的に参加し、私はそのネットワーク・ビジネスで一目置かれる存在となった。 思い込むと突っ走る性格の私は、気が進まないと言う妻にも会員登録をさせて講習会にまで出席させた。
やがて私の行動はほころびを見せ始めた。 人はあまり熱心に誘われると疑念を抱く物だ。 しかもネットワーク・ビジネスは、年齢や職業や性別に関係ない人達が参加しているので、外から見たらまるで新興宗教集団の勧誘と同じにしか見えないのだ。 私は確証バイアスでそんな周りの人達の気持ちも見えなくなっていたのだ。 その結果、過度に熱心に誘った友人・知人の多くが言葉も残さず私から去り始めて行ったのだ。 実際、たくさんの大切な友達を失った。
私の活動はエスカレートし、妻の実家がある地方の田舎にまでネットワークを伸ばそうとして、大切な妻の母親や親戚まで巻き込む形になってしまい、義母には大変な迷惑と負担を掛けてしまった。
愛すべき身近な大切な人達まで犠牲にして、私はやっと目が醒めた。 私は飛んでもない夢を見ていたのだと思った。 そのネットワーク・ビジネスからはきっぱりと足を洗った。 まるで何かに洗脳されてしまったような、恥ずかしい私の過ちの4年間だった。 私がこの過ちで学んだ事は本当に大きい。
確証バイアスは、分かり易く言うと「思い込み」と言う言葉で表現される。 まさにその通りだ。 思い込みは物事を早く進める力になったり、人への愛とか男女の恋愛の様に幸せにつなげる力もある。 しかし思い込みは冷静さを失ってしまう事なので、一歩間違えば大きな失敗を招き、不幸につながる事もある。
本来ならこの失敗事例は人にはあまり語りたくはない話ではあるのだが、それでもひとつの過ちの事例としてお話しする事で、何らかの形で少しでもどなたかのお役に立てば、私の失敗も少しは報われるかと思っている。
「諸刃の刃」である事を良く理解する事が大切だ。