思い出す限り、私が人生で最初に「創作らしき体験」をしたのは、小学五、六年生の頃だった。 通っていた小学校の校門のすぐ脇には大きなヒマヤラ杉が立っており、私はそれを絵の具でスケッチした。 なぜかその絵がどんなものであったか、六十数年経った今でもはっきり覚えている。 小学生なりに写実的に描いたものではなく、油絵のように、見て受けた印象を強調した絵だった。 深緑と焦げ茶色を基調にしたその絵を、先生がとても褒めてくれたことを覚えている。
次に「創作」と呼べるものに手を付けたのは中学二年生の頃だった。 音楽の先生が呼びかけた有志の生徒で編成した弦楽四重奏団に、決して上手とは言えない第二ヴァイオリンで参加した私は、日増しにクラッシク音楽が好きになり、ついには作曲をしたくなった。 理論として学んだ「ロンド形式」にこだわり、最小限の小節をならべて創ったものだった。 おそらく肝心の曲想よりも形式に惹かれて実現させた「作品」で、仲間からは散々バカにされた。 それでも私にとっては初めての音楽創作だった。
絵画、音楽の次は写真の世界だった。 高校生時代からフィルム式の一眼レフカメラを携えて写真を随分撮ったが、その頃は作品を創るという意識はなく、目で見たもの、体験したものを記録として残したかっただけなのだと思う。 それが「作品」としての創作に変わったのは、還暦を迎えてタイムラプス動画に出逢った時だった。 私はそれを仕事とし、タイムラプス・フォトグラファーとして活動するようになった。 海外にまで足を延ばし、作品づくりに熱中したあの創作活動こそ、私の人生のピークだった。 自然に立ち向かっていると、その風景を切り出して何かを表現したいという衝動に無性に駆られる ― そんな体験は初めてだった。 その足跡の多くは、このページに残されている。
そして今、私はペンを執っている。 文章という創作を始めたきっかけは、仕事から引退をしたあとに襲われた空虚感だった。 そこに人生をゆっくりと振り返る時間が生まれ、次々と自分の歩んで来た足跡が見えてきた。 その足跡は、私を衝き動かす迫力と重さがあった。 その瞬間からたまらなくなってペンを執り、半年の間、自分の人生と向き合い、過去の過ちを洗いざらい叩きだし懺悔した。 禊を終えたような気持ちになった今は、自由になった心で書き続けている。 青空の雲の上を漂っているような気分だ。
絵を描く、曲を作る、映像を撮る、文章を書く ― これらの創作はいずれも自分を表現する手段だ。 出来・不出来は問われない。 その人しか創ることのできないその人の世界だからだ。 そこには、その人が生きた証があり、存在した意味が宿る。
創作は芸術家だけのものではない。 その人しか創れないものを形にすること ― それが創作だ。
いままで経験してきたつたない創作の歩みを考えると、順番からして次は彫刻や塑像の世界だろうか。 いっそ自身の像でもつくって、お墓の脇に添えてもらおうか。
