「手書きの温もり」という表現は、手紙において最も説得力をもつように思う。 私の銀行勤め時代の後輩は、昔から時々、封書で手紙を送ってくれる。 しかも和紙の縦書き便箋を使っている。 最近になってパソコン印刷になったが、手書きの時と同じ和紙の便箋に縦書きで印刷している。
それに対して私は、昔からパソコンでコピー用紙に横書き印刷した返事を出してきた。 昨年、一度だけ縦書き印刷に挑戦してみたが、パソコン上では縦書きにさまざまな制約があり、自由度が低くて大変苦労した。
私は必ず横書きをする。 縦書きは昔から抵抗があった。 理由は「汚れるから」である。 縦書きでは改行が右から左に進むため、右の手の手のひらの端が書いたばかりの文字をこすってしまう。 特にインクを使った場合には気を遣う。 もし縦書きが左から右へ改行する方式であったなら、ここまで抵抗はなかったと思う。
もっとも、パソコン時代になってからは手書きを一切しなくなったので、この問題は解決した。 しかし、代わりに、英語圏で開発されたパソコンの世界は、すべて横文字の欧文表示が前提であった。 したがって、初期のMS-DOS時代には日本語表記のために、OSにFEPと言う前処理装置を組み込む必要があった。 日本語化してもベースは欧文の仕組みであり、パソコンでは日本語も横書きが自然なものになっていった。
このパソコンの登場によって、私の縦書きへの抵抗は決定的なものとなった。 それを助長するような場面も増えた。 日常的によく使う外国語の単語表記は、縦書きではとても読みにくく違和感がある。 インターネットのリンク先表記なども大変分かりにくい。 「和洋折衷」の文化の中では、縦書きはもはや受け入れにくい存在になりつつある。
しかし、めったに本を読まない私でも不思議に思うのは、本屋に並ぶ小説やエッセイの多くが縦書きであることだ。 目の前の新聞だって縦書きである。 妻が参加しているエッセイ同好会でも、パソコンで作品を発表するときは、原稿用紙に印刷した縦書きだ。
一方で、子どもや孫の学校の教科書を見ると、縦書きは国語だけで、他の科目は横書きである。 一般書籍でも、自然科学書、専門書、ビジネス書などはほとんど横書きだ。 同じエッセイでも、Webというパソコン世界に属するブログサイでは横書きが当たり前である。
全体でみると、やはり縦書きの方がやや多いようにも感じる。 こんな国際化の時代で、文化は和洋折衷、しかもエレクトロニクス全盛なのに、なぜ縦書きが「しつこく」幅を利かせているのだろうか。
私は最近あることに気がついた。 それは元祖横書きの文化である西欧では、アルファベット、もしくはそれに準じた表音文字が使われていると言う点だ。 例えば、「技術」という単語を表記するのに、英語だと「Technology」と十文字だが日本語だとたったの二文字だ。 この差は大きい。
表音文字の世界では、サラサラと流れるように読み進めないと単語を読み取れず、意味がまったく分からない。 そのため、目を流すように読める横書きは理にかなっている。
それに比べて日本語は中国語と同じ表意文字である。 一目で意味が分かり、慌てて読み急ぐ必要はない。 時間の流れを縦に積むように、落ち着いて読める縦書きの方が深く味わえる。 横書きが「追う」世界なら、縦書きは「味わう」世界に近い。
こうやって考えると、私が書いているエッセイも、本来は縦書きの方が馴染みがよさそうだ。 しかし、Web環境では、横文字前提のブラウザに依存して表示するため、縦書きを安定して実現するには技術的な問題が多い。 さらに、パソコンではよくても、スマホでアクセスする人には縦書きは扱いにくいだろう。 技術的な興味があるので研究だけはしてみようと思うが、一筋縄ではいかないのが、この「縦書き」問題である。