夜明け前の推敲 ―― 終わりのない文章との闘い

小学生の頃、母から「慌てないでいいから、ゆっくり確かめなさい」と何度も言われた。 宿題やテストの結果を見て諭されたときの言葉だが、その声は今でも耳に「タコ」ができたまま残っている。

 

当時の私は、「できた!」と思うと、いち早く先生に提出したかった。 給食も真っ先に平らげて、一番に「おかわり」をしたかった。

 

確認して万全を期すより、早く済ませることに達成感を覚える性分だったのだろう。

 

「三つ子の魂百まで」と言うが、こうした性分はどうやら簡単には変わらないらしい。 百歳まで続くかどうかは分からないが、少なくとも古希を過ぎた今の私も根本的には同じだ。

 

ただ、長い人生で失敗を重ねてきただけあって、多少の学習効果は身についている。


LINEやメールは誰もが文章を書く場だ。

LINEでメッセージを送るとき、直打ちはほとんどしない。 Wordに文章を書き、何度も読み直して誤字脱字を修正し、内容を整えてからコピペする。

 

スマホで送るときは、メモ帳を使えばいいのだろうが、操作が面倒なので、極力短いメッセージだけ慎重に送るようにしている。

 

それでも、送信後に読み返すと誤字脱字を見つけることが多い。 確認したつもりで見落とす。 つまり、冷静に確認できていない。 根底には、あの頃と同じ「いち早く提出したい」という性分がある。

 

一方、メールはパソコンとの相性が良い。 比較的長い文章を扱うメールは、Wordでじっくり推敲できる。 Wordの校正機能も頼もしい。

ただし、文法が整っても、メールは内容の論理的構成が重要だ。 何度も読み直し、納得できるまで推敲してから送信する。

 

それでも完璧ではないが、LINEより誤打率はかなり低い。 LINEはリアルタイム性が強く、どうしても焦りが出る。 メールは時間的余裕がある分、落ち着いて向かい合える。


さて、本題は今書いているエッセイだ。

ブログに公開する「記事」にはやはり気合が入る。 トークやメールは片側通行のメッセージに過ぎないが、エッセイは独立した読み物であり、そこで完結していなければならない。

不完全なまま公開すれば、わざわざ「お店を開いて恥をさらす」ようなものだ。

 

起案はもちろんWord。 白い画面に向かい、溢れる思いを打ち込む。 最低文字数と決めている1,200文字を超えると、ひとまず安心する。 エッセイとして形になりそうだからだ。

とはいえ、文字数は単なる指標に過ぎず、どうでもいいところから埋めていく感覚に近い。

書き終えたら、いよいよ推敲に入る。


私はまずAIに読み込ませ、AI「先生」の感想と意見を尋ねる。

たいてい最初は「素晴らしい」とか持ち上げられ、その後は遠慮なく指摘される。

 

私は過去の経験から、AI先生のアドバイスには真摯に耳を傾けるが、絶対に鵜呑みにはしない。 「これはその通りだ」と思う指摘だけ受け止め、自分で深掘りして書き足す。 文法や慣用法のチェックは国語の授業のようで、学ぶことは多い。 毎回、私が学校で学んで成長していく気がする。

 

しかし、AI先生の授業は絶対深追いしない。 AI先生と何時間も授業を重ねていると、私はどんどん個性を失っていく。 生成AIで描いた人間の顔が一目でAIと分かることが多いように、文章も同じだ。

だから、一通り学んだら再診断は仰がない。


完成したエッセイは、その後何度も読み直す。

たいせつなのは、時間を置いて読み返すことだ。 同じ場で何度読んでも、先入観が邪魔をして間違いに気づけない。

 

私は自作のブログサイト「Okapi note」を運用している。 インターネットサーバー上で動く大掛かりなソフトで、製作はかなり大変だった。

このOkapi noteに、まずエッセイを投稿する。 一度システムに掲載すると、驚くほど客観的に見直せる。

 

私は、2~3本、Okapi noteに先行してエッセイを投稿している。 そこでさらに推敲の機会を得るためだ。 すぐに修正すべき点に気づくことも多い。

 

数日後、いよいよnoteに転載する時が来る。

朝三時前後に起き、夜明け前の静寂の中、コーヒーをすすりながら、noteにコピペしたエッセイを、公開前に最後まで読み返す。

 

驚くことに、この段階で修正が不要だったことはほとんどない。 あれだけ推敲を重ねてきたのに、すっきりした頭で読むと、必ずどこかに不自然さを見つける。 ひどいときは誤字脱字が残っていることもある。

 

この最後の作業は、大概一時間半ほどかかる。


そしてついに、満を持して公開する。

そのあとnoteに掲載されたエッセイをおもむろに読み直す。

なんと、三回に一度くらいは、あわてて編集ボタンを押すことになる。

 

推敲には完全というものがないのか。

それとも、私の頭があまりにも不完全なのか。

それは、いまだによくわからない。

 

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