数字としての時間/量としての時間

小学校低学年の孫娘が、ひとりで「お泊り」に来たときのことだ。 帰りの時間が迫るなか、母親から持たされた宿題の問題集を取り出し、言われた範囲をなんとか終わらせようと格闘し始めた。 算数の宿題に向かっているのだが、難しいよう … 続きを読む

老いゆく社会と、継承の途絶

「皇位継承資格者の極端な減少という制度的危機」を、日本の天皇制の正統性を壊さずに解決するために、国会では真剣な議論が続いている。 男系男子限定、女性皇族の離脱、戦後の宮家大量離脱 ―― これらが重なり、「制度が自動的に皇 … 続きを読む

覇権はこうして生まれる ―― 民主主義が自ら崩れる瞬間

権力集中と覇権の誕生   権力が長い時間をかけて一つの場所に集まると、そこは自然に「世界の中心」になる。 これは政治体制が民主主義であれ権威主義であれ変わらない。 覇権とは理念の産物ではなく、力の偏りが生む「世界の空気の … 続きを読む

最後に残された私が、今日も問い続けていること

今日、数年ぶりに甥が我が家を訪れた。ちょっとした用事で立ち寄ることになったのだが、久しぶりに会った彼は、すっかり中堅社員らしい落ち着きを身につけた大人になっていた。その姿を見て、私はふと、自分の家族のことを思い返すことに … 続きを読む

予期せぬ言論の火種 ―― 自由な発言を阻む、目に見えない壁

戦前の反省を踏まえて制定された日本国憲法は、言論・表現の自由を明確に保障している。 戦後生まれの世代が大半を占めるようになった現在、その自由は「勝ち取ったもの」というより、「生まれたときから当然そこにあるもの」として受け … 続きを読む

歴史の傷と文化の絆 ―― 三国が分かり合うために

近さゆえの摩擦 ―― 歴史が残した傷跡 中国・韓国・日本。 この三つの国は、地理的にも文化的にも極めて近い位置にある。 漢字を共有し、儒教や仏教の影響を受け、長い時間をかけて互いに文化を伝え合いながら、一つの文化圏を形成 … 続きを読む

「先達はあらまほしきこと」 ―― 名もなき経験の声を聴く

制度が形づくる「先生−生徒」構造   私たちは、学校教育の中で「先生−生徒」という関係を身体に刻み込まれて育つ。 生徒は椅子に座り、前に立つ先生を見つめる。 時間の主導権は先生にあり、話す者は「偉い人」として扱われる。 … 続きを読む

人犬(ひといぬ)への恋

散歩の途中で出会う犬たちの話を、いつも私のエッセイを読んでくださる方がコメントに書いてくださったことがある。 毎日の散歩で、仲良しの犬に会うのが楽しみだというのだ。 その言葉に、私は深くうなづいた。 私もまた「犬大好き人 … 続きを読む

手紙という時間

二十年近くの間、思い出したように封書で便りを交わしているサラリーマン時代の後輩がいる。 誠実でとても知的な彼が送ってくる手紙は、和紙の縦書き便箋に、きれいなペン書きで綴られている。   印刷された文字は、どれほど内容が良 … 続きを読む

カラスにも三分の理

早朝の散歩は、家の前の小さな林から聞こえるウグイスの澄んだ声で始まる。 時に外来種のガビチョウが騒々しく占領している日もあるが、今朝は幸いにも、思わず真似したくなるようなウグイスの歌が、寝ぼけた心を静かに洗ってくれるよう … 続きを読む

日本には人生がないと言われた日、情がないと言われた日

私の人生には、忘れられない二つの言葉がある。 スペインで言われた「日本には人生がない」。 韓国で言われた「日本人には情(じょう)がない」。   どちらも、私の内側の空洞に鋭く突き刺さった。 自分では気づいていなかった「日 … 続きを読む

拾ったクレジットカード

朝の散歩の途中、家の近所の小さな郵便局の前でクレジットカードを拾った。 ひと目で、用を済ませた誰かが財布にしまう際に落としたのだと分かった。   郵便局はまだ開いていない。 しかし、このまま放置すれば、悪意のある者に拾わ … 続きを読む

後進に道を譲る勇気と懐の深さ

政界や財界の上層には、80歳を超えてなお権力の中心に座り続ける人が少なくない。 その姿勢に敬意を抱く一方で、自分自身が加齢による「退化」を実感するたびに、果たしてそれは社会にとって本当に望ましい姿なのかという疑問が拭えな … 続きを読む

日本の情(じょう)、韓国の情(じょう) ―― その違いに触れて

韓国語を学び始めたのは、今から二十七年前のことだ。 独学だったが、近くて遠いと思い込んでいた国が、実は日本と驚くほど深く結びついていると知った瞬間、私は飢えるように勉強を始めた。   どんな言語でも、文字が読めて、言葉が … 続きを読む

「人を信じて疑わない性格」の功罪

昨日も妻は悪意の電話に気づかなかった。 私の部屋に、通話中のスマホを手にして入って来て、少し焦った表情をしながらこう言った。   「大事な電話みたいなんだけど、よくわからないから代わって」   私は心の中で「またか」とつ … 続きを読む

相手と闘うスポーツ、自分と闘うスポーツ

スポーツの試合を観ていて、ふと心が引いてしまう瞬間がある。 鮮やかなプレーに一瞬は目を奪われながらも、その熱狂の先にある「影」を前に、どうしても没入しきれない自分がいるのだ。 私が胸を打たれるのは、決して「勝ち負け」が決 … 続きを読む

因果の網の目に生かされて

人生の成否を左右する局面で、私は何度も、間違った判断を危機一髪で回避してきた。   そのたびに「ぎりぎり間に合って良かった」と胸をなでおろすのだが、こうした好都合が何度も重なると、「偶然」という言葉の許容量を超えてしまう … 続きを読む

人生と言う交響曲の終わり方

クラシック音楽の多くの交響曲では、第四楽章が長い旅路の締めくくりを担う。 そこには、作曲家がその曲に託した思いが凝縮され、音楽はそれぞれ異なる方法で終わり方を選ぶ。 その多様な終結の姿が、人生の最終章と重なって見えること … 続きを読む

生まれ変わっても、血は変わらない

私に対して「生まれる時代が違っていたら、社会のために何かを成し遂げる偉人になっていたかもしれない」と言った友人がいる。   その好意は素直にありがたい。 だが、その言葉は私の胸には落ちなかった。 それどころか、その言葉は … 続きを読む

残された地平に二人で立つ ―― 第三者になれぬままの四十数年

私は人生をあまりに我儘に生きてきて、伴侶である妻にひとかたならない苦労をかけたと、深く反省している。 だから私と妻の過去の言い分はまったく平等ではないのだが、それでもの話である。 妻ともめ事があり、こちらの言い分に納得が … 続きを読む

支配欲の呪縛 ―― 思想・歴史・資本・感情のハッキング

人間社会は、様々な支配構造に翻弄されている。 現存する特定の社会システムを批判することは容易だが、翻って「理想の社会」など地球上のどこを探しても存在しない。 歴史を見渡せば、民主主義的で平和な社会が一時的に成立することは … 続きを読む

数理の底から爆発する狂気 ―― 矢代秋雄『交響曲』の衝撃

日本のオーケストラ界が遺した20世紀の記念碑的大作、矢代秋雄の『交響曲』(1958年)。 演奏会で取り上げられる機会が稀なこの曲を、私は先日、初めて生で聴く機会を得た。   コンサートの後半、メインプログラムに40分に及 … 続きを読む

選ばない情報の価値 ―― いま光る「新聞」というメディア

妻は昔から熱心な新聞ファンである。 紙に書かれた文字は落ち着いて頭にすっと入ってくるのだと言う。 結婚して四十六年、我が家の食卓にはいつも新聞があった。 しかし、テレビの速報性こそが「ニュース」だと信じて疑わなかった私は … 続きを読む

燃え盛る季節の後で

私の人生には、「ほどほど」という加減がなかった。 ひとたび火がつけば、空の雲を焦がすほどに燃え盛る。 学生時代から、やると決めたことには全エネルギーを注ぎ込み、我を忘れて未知の世界へ突き進んできた。   その異常なまでの … 続きを読む

日本のラジオ体操が生みだした、朝の至極のとき

ラジオ体操の「元祖」が、1925年にアメリカの生命保険会社が始めたラジオ放送である事実は、あまり表舞台で語られない。 当時、現地を訪れた日本の簡易保険局(現在のかんぽ生命)がその試みに着目し、NHKと手を結んで1928年 … 続きを読む

背中を見送る散歩道

だらだらと続く登り坂を、「もう少し」と自分を励ましながら歩いていると、後ろから軽快な足音が近づいてくる。   道路の端に寄って道を譲ると、あっと言う間に追い抜かれた。 上がった息の音すら聞こえない。 その背中はみるみる小 … 続きを読む

近くなった世界、遠くなった追憶

ニュース番組を観ていてると、海外で社会的混乱や自然災害が発生するたびに、決まって現地に暮らす日本人の数とその安否が報道されることに気がつく。 スマートフォンで撮影された彼らの生々しい姿や声が流れるたび、私はその数の多さに … 続きを読む

水無月の道標(みちしるべ)

「水無月の 夏越(なごし)の祓(はらえ)する人は ちとせの命 のぶというなり」   間もなく六月の末日を迎え、今年も半年が過ぎて折り返し地点に到達する。 週に一度訪れる地元の大きな神社。その鳥居の二本の柱の間には、茅(か … 続きを読む

家族を支えた足跡 ―― マリオンとリカルドが遺したもの

外を歩いていて散歩中の犬に出会うと、今でも毎回心がときめく。 すれ違いざまにリードが引かれ、こちらに鼻をクンクンさせて寄ってこようとする姿を見ると、愛おしくて仕方がなくなる。 一度触れ合わせてくれた犬は、次からは遠くから … 続きを読む

なぜ私はここで書き続けるか

どんなきっかけでこの場を見つけ、エッセイを書くようになったのか、細かいことは覚えていない。 ただ、漠然と現役を引退した心の空虚感を埋めようとしてペンを執ったことだけは間違いない。   私は自分勝手に、やりたいことに熱中し … 続きを読む