朝の散歩の途中、家の近所の小さな郵便局の前でクレジットカードを拾った。
ひと目で、用を済ませた誰かが財布にしまう際に落としたのだと分かった。
郵便局はまだ開いていない。
しかし、このまま放置すれば、悪意のある者に拾われて悪用されるかもしれない。 自分が落とした立場なら、何よりも「悪用されていないか」が気になるだろう。 そして「善意の人に拾われている」と知るだけで、どれほど安心するか。
私は、
一に悪用から守ること
二に落とした主を安心させること
この二つを最短で実現しようと考えた。
カードには女性の名前があった。
この静かな住宅街の郵便局前で落としたのなら、近所の方である可能性が高い。
名前に心当たりがないか、必死に記憶を探った。
最も確実で迅速な方法は、私が持ち帰り、すぐにカード会社の24時間受付に連絡することだと判断した。
カード名義人にカード会社が連絡すれば、安心するだけでなく、その場で所有者が希望すればそのカード番号を無効に設定することもできるので、最善かつ最短の方法だからである。
私は、帰宅するとすぐにカード会社に電話をした。
拾得の経緯を説明し、
「名義人の方に連絡して、カードが保護されていることを伝えてほしい」と依頼した。
しかし帰ってきた答えは意外だった。
対処方法は二つあるという。
1.基本的には拾得者から警察に届けてもらう
2.それが難しい場合は返送用の封筒を郵送するので、カードを送り返す
私は説明した。
1.落とした本人は、気づいた瞬間に不安で胸が締め付けられる。
カード会社の連絡先がすぐに分からない人もいる。
だからこそ「拾われている」と一刻も早く知らせてあげたい
2.警察署などに出向いて届けようとすれば、調書もとられるし時間がかかる。
最短で問題を解決するために、カード会社に連絡している。
しかし先方は、
「名義人様にそのような連絡する手順は定められていない」
と繰り返すだけだった。
仕方なく、封筒の到着を待って郵送することにした。
だが、もし「すぐに警察に届けなかった」として「拾得物押収罪」などと言われたら、善意で動いた私の思いは、あまりにも報われない。
もちろん、最短距離でカード会社に連絡した以上、罪に問われるはずはない。それでも、朝から重たい気分になった。
カード会社が、名義人に
「お客様が落とされたカードを保護している方がいます。現在確認中ですのでご安心ください」と一言伝えてくれたら、どれほど救われるだろうか。
自分がされたら嫌なことを人にしない。
困っている人がいたら、すぐに助ける。
そんな当たり前の道理が通らないことに、どうしても寂しさを覚える。
先日の巨人軍監督の騒動も、関わった人間が皆「手順通り」AIのような対応をしたせいで、誰ひとり幸せにならなかった。
私は、これまでの人生で、ああいう硬直した対応をほとんどしたことがないだけに、あの姿勢に触れるとため息が出てしまう。
私のエッセイにたびたび登場する、映画『男はつらいよ』の寅さんなら、
きっと私と同じように「まず人を安心させる」ことを考えただろう。
彼はいつも、損得よりも相手の気持ちを優先して生きていた。
この近所の家々を歩き回り、
「お嬢さん、これ落としたろ」
と、照れくさそうにカードを差し出したかもしれない。
だからこそ、あのカード会社の対応に、どうしても寂しさを覚えてしまう。
「人間ってのは、まず相手の気持ちを思いやるもんだよ」
彼はそんな世界で人生を全うした。