人生に描く、自分の美学

昔の映画を観ていると、懐かしい俳優のかつての姿を見ることができるが、次の瞬間、必ず頭をかすめるのが「この人まだ生きているのだろうか」という思いである。

 

映画『男はつらいよ』は、二十七年間、同じ俳優が同じ役を演じ続けたため、役の年齢変化と俳優本人の年齢変化が重なっていくという、大変珍しい映画だ。

 

寅さんを演じた渥美清は1996年、68歳の若さで惜しまれつつ亡くなった。

 

おいちゃん役は三人の俳優がつとめたが、森川信(1972年/60歳)、松村達雄(2005年/90歳)、下條正巳(2004年/88歳)と、全員すでにこの世を去っている。

 

おばちゃんを演じた三崎千恵子(2012年/91歳)も亡くなっている。

 

タコ社長を演じた太宰久雄(1998年/74歳)もこの世におらず、寺の小僧・源ちゃんを演じた佐藤蛾次郎(2022年/78歳)ももういない。

 

健在なのは、さくら(倍賞千恵子/83歳)、その夫の博(前田吟/80歳)、そして満男(吉岡秀隆/55歳)という、配役上の一家三人だけだ。

 

第八作で、寅が「旅先で出会った人生を達観した博の父」から薫陶を受ける場面がとても印象的だったが、第三十二作では、寅が旅先で博の父の墓を参る場面が出てくる。

あれほど印象深かった人物が、作品の中で墓石の中に収まっているのを見ると、人の一生の無常を深く感じずにはいられない。


まわりを見渡すと、ついこの間まであんなに生き生きとした姿を見せてくれていた人たちが、いつの間にか姿を消している。

次の瞬間、自分がその仲間入りしたとしても、まったく不思議ではない。

 

「自分の人生はまだまだこれからだ。楽しいことを最後までやり続ける。」という生き方もある。

 

しかし「生ある限り、一人の人間として恥じない人生の最後を演じ切る」という生き方もある。

 

ここは恐らく大きく二つに分かれる所ではないかと思う。

 

これまでの人生を、真面目に誠実に、ベストを尽くして生き抜いてきた人は、最後は解放され、ご褒美のような日々を過ごすのもよいだろう。

 

だが、私のように、生きたいように自由気ままに生きてきた人間は、そうはいかない。

最後は、省みるべきことを深く省み、まわりの人のために尽くせることに務め、最後の最後まで取り返せるものがあればそれに務め、一人の恥じない人間像を描く日々を過ごすのが人の道だ。

 

昔だったら「仏門に入る」くらいの気持ちを持ちたい。

 

「Going My Way」は私の人生の標語である。

はっきりとした足跡を残し、その価値観を託した後ろ姿を残して去っていく。

それが私の人生の美学である。

 

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