とうとう縁がなかったスポーツ

私はずっと趣味の世界に生きて来た。 アマチュア無線、天体観測、カラオケ、キャンピングカー、航空機など、当時の未開発分野を少しでも開拓する事に情熱を燃やして来た。 振り返って見ると基本的に技術の世界に生きて来た。

 

もう遊びは十分だろうと言われる様な人生だったが、本人の思いとしては必ずしも満足ではない。 身体を使ったスポーツの世界では何一つものにする事ができなかったからだ。 

 

私が生まれ変わったら必ず身を投じたいスポーツが最低三つある。 その第一はハング・グライダーだ。 大学3~4年当時、夏の西伊豆への友達と車を連ねて泳ぎに行ったとき、箱根の山を通って伊豆半島に南下するのだが、そこで当時としては大変珍しいものに出逢った。

 

ハング・グライダーだ。 山の斜面から東の相模湾方向に向かって、大きな翼にぶら下がって飛び降りて行き、そこから上昇気流に乗って空を悠々と飛び回っていた。 他に類を見ない華やかでダイナミックな姿だった。 初めて見た時は本当に目を奪われた。 どこかの大学のハング・グライダー・クラブの人達だった。

 

実は私はその後、卒業前に初めて海外旅行にアメリカにジャンボ機に乗って飛んだ。 それがきっかけで航空機へ興味を持つようになり、その情熱を知った航空会社勤務の知人の紹介でジャンボ機の操縦訓練用フライトシミュレーターを操縦体験をさせてもらうほど夢中になった。

 

学生時代にハング・グライダーに出逢った時、確かに私の大空を飛翔する夢が誕生したと思う。 もう学生時代も半ばを過ぎたあの段階では手の出しようもなかった。 時代がもう数年早かったら、絶対どこかのクラブに入って挑戦していたと思う。 今でもハング・グライダーやパラグライダーに出逢うと、心から羨ましく思い、うっとりと見とれてしまう。

 

私が生まれ変わったら必ず身を投じたいスポーツその第二はゴルフだ。 これについては、過去のエッセイ「20歳前後の吸収力は一生の宝」で初心者レベルをいつまでも脱せなかった無念さについて書いてある。

 

https://mafnet.jp/blog/archives/561

 

一言で要約すると「若い時にゴルフを学び、鍛えておけば社会人になってからあれほど苦労はしなかったと」言う後悔話である。 会社でゴルフの腕前がシングルと言う後輩がいたが、彼は高校時代からゴルフを手掛けて来たと言っていた。 私はその後輩がとても羨ましかった。 来世では絶対彼と肩を並べたい。

  

私が生まれ変わったら必ず身を投じたいスポーツその第三はスポーツ・バイクである。 バイクと言ってもエンジンで走るオートバイではない。 足で漕ぐ、スポーツタイプの自転車だ。 実はこのスポーツ・バイクに興味を抱く様になったのは、最近の事だ。 毎朝の散歩で気持ち良さそうに快走しているスポーツ・バイクに良く出逢うのを見て興味を持つようになった。

 

西武線を超える跨線橋の上り坂は、私が乗るホームセンターで買った普通の内装3段変速の自転車ではどんなに頑張っても途中までしか登れない。 そこをサイクリング・スーツに身を固めた若者がデラックスなスポーツ・バイクでスイスイ登って行く。 目を疑った。 平らな舗装路では時速数十キロで走る自動車と変わらぬ速度でシャー!シャー!と音を立てて快走して行く。 どうやら体力だけの差ではなさそうだ。

 

永年の私の友人が最近仕事を引退して暇が出来たので、毎日のようにスポーツ・バイクで走り回っているのを知った。 それも数十キロも離れた街とか、奥武蔵の山道も平気で登っているようだ。 彼はその手の自転車(スポーツ・バイク)を5台持っているそうで、走る距離や、山登りかどうかによって使い分けているそうだ。

 

先日私の家にスポーツ・バイクに乗って、どんなモノか見せに来てくれた。 カッコ良いのは言うまでもない。 ボディの信頼感は想像を絶していた。 イタリア製だそうだ。 油圧式の前後輪ディスク・ブレーキは乗らなくても、ハンドルを持って数センチ前後に動かして操作しただけで、その素晴らしいフィーリングと強烈な効きが分かり、これはもはや自転車じゃないと驚嘆した。

 

彼は家の前でスポーツ・バイクに乗って、止まったまま見事にバランスを取って見せた。 動かなくてもバランスが取れるくらいだから、大きいギア比にしても問題なく山道を安定して楽に登れる訳だ。

 

すっかり感心した私は、よせばいいのにとりあえず乗って見ようと跨ろうとした。 サドルは私の脚が地に着かない高さにあるのに、何も考えなかった。 バランスのとり方もわからないスポーツ・バイクなのに、脚が着かないサドルに平気で乗ろうとしたのは、無謀そのものだった。

 

私はサドルに乗り切る前に、手前側に自転車と共に地面に横倒しに倒れた。 友人は「あっ!!」と声を上げたが何もする間もなかった。 私は強烈に腰を打ったが近くの塀に頭をぶつけなかっただけ幸運だった。 脚が着かないのは乗りにくい理由にはなるが、それだけで乗れずに倒れる理由にはならない。 この歳ではもはや手掛けるには手遅れだったのだ。

 

本当に私はスポーツには縁がなかった。 興味が全くなかった訳ではなく、すべて出逢いのタイミングを失していた。

 

 ハング・グライダーで空のスポーツに出逢った時、海のスポーツにも出逢った。 ハング・グライダーを箱根の山でやり過ごした後、西伊豆の海岸に着いて泳いでいたのだが、ある時いつもの仲間が友人を連れてきた。 彼はスキューバー・ダイビングの達人で、車にボンベを数本積んでやってきた。

 

当時は確かまだライセンス制度はなく誰でもやろうと思えば自由に出来たと思う。 何にでも首を突っ込む私がやってみたいと言ったら快く貸してくれた。 特に何にも説明はなかったので、私は器具を装着して海に飛び込んだ。

 

素潜りは得意だったので問題はなく、これは快適とばかりどんどん潜って行った。 すぐに30数メートルの深さの海底に着いた。 その深さに一気に潜る事は自殺行為だとは知らされてなかった。 眠気が襲って来て良い気持ちになって海底の砂の上でしばらく漂っていた。

 

残量計でエアーが半分近くになったのに気づいて浮上して岸に戻る事にした。 私は焦った。 帰りは疲れるので残量が半分では足りなかったのだ。 途中で背中の重たいボンベを捨てる訳にも行かず、水面に顔を出してガバガバ水を飲みながら必死になってもがいてやっとの思いで海岸にたどり着いた。

 

もうふらふらだった。 そのまま倒れ込んで小一時間気を失っていた。 私は体格には恵まれていて、しかも体力の絶頂期だったので、無事だったのだ。 それ以降スキューバー・ダイビングは二度とやらなかった。

  

海は駄目だったが、中学・高校時代はワンダーフォーゲル部に入り山登りは良くした。 アルプスの山々も東北の山々も登った。 成長期だったあの頃、歩く事で足腰は随分鍛えたと思う。 それが私が人生でやって来た唯一のまともな「スポーツ」になると思う。

 

そして気が付いてみたら、古希も過ぎた今になって、毎朝のゴミ拾い散歩で2時間かけて1万歩近く歩いている。 脚がすっかり鍛えられて、太腿とふくらはぎの筋肉がしっかりと張りつめているのを感じる。

 

結局、私には歩く事しか縁がなかったのだ。

 

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