道路地図帖が生み出す旅のロマン

技術革新は今まで出来なかった事をたくさん可能にして来た。 私が身を以ってその変化を感じた物のひとつが地図だ。 今はグーグルMAPで地球上どこに行っても現在位置がわかる。 現在位置が分かるだけでなく、行きたい所を選択すれば、現在位置からのルート案内を開始してくれる。

 

1984年当時、私はスペインにいて38日間の全国一周の旅に出たのを皮切りに機会さえあれば各地を走り回わり、隣のポルトガルにも足を延ばした。 使ったのはボロボロの中古で買ったFIAT128と言うイタリア製の1300ccの乗用車だった。 

幸い当時のスペインには既に立派な全国道路地図帖が販売されていた。 とても見やすく扱いやすい地図だった。

(カバー写真および下の写真:41年前の物)

あの万事大雑把な当時のスペインで、良く全国一周のドライブに耐える地図があったと思うが、良く思い起こして見るとそれなりの理由があった。 日本みたいに立て込んでいなかったのだ。 わかりやすく言うと、全体が大平原で、その大平原の中にポツン、ポツンと地方都市がある。 そして地方都市を結ぶ間にポツン、ポツンと小さな村がある、と言うイメージだ。 

 

だから全国道路地図は整然と作る事が出来たのだ。 地方都市に入ると、その市街地だけを詳細に描いた市街地図が必要になる。 しかし大きな地方都市の数は限られているので、地図帳に市街地図を挿入しても大した事はない。 そして小さな地方都市の市街地図は小さくて良い。 日本の様に国中に都市や町が肩を寄せ合って連なっていないのだ。

 

かくしてその一冊の地図帖だけでなんの不自由もなく、スペイン一周旅行を始め、色々な旅を楽しむ事が出来た。 スペイン一周旅行だけで8,800キロあったので、滞在中に旅した距離は全部あわせると2万キロくらいになると思う。

  

ミャンマーは軍部に翻弄された混乱の歴史を続けているが、アウンサンスーチーが登場した2015年から2021年のわずか6年間だけ平和な民主主義時代があった。 私は幸運な事に2016年と2017年の2度にわたりミャンマーを訪れ、仕事で使うタイムラプスの作品作りの為、車を借りてミャンマーの主要な地を巡って全国を約5,000キロ走り回った。

ミャンマーの道路事情は想像を絶する未開な状態で、高速道路は北部の都市マンダレーと南部にある最大の都市ヤンゴンとの間約600Kmに一本あるだけで、それも道路脇に牛馬車が通るための未舗装の牛道が有り、人は歩くし横断もするし、自転車も走っていた。 舗装状態はとても高速道路とは言い難いものだった。 それ以外の道は舗装されていてもデコボコで穴はあるし、日本からはとても想像できない劣悪な状態であった。

 

そもそも決して生活に余裕がないミャンマー人で国内を車で旅行をしようとする人は中々いない。 そんな状態なので、当然ながら「国内道路地図」なるものは存在していなかった。 それなのに何故全国を5,000キロにわたって走り回る事ができたのか、それは言うまでもなくスマホとグーグルMAPのお陰であった。 もしあの時点でグーグルMAPが存在してなかったら、あのような旅行は100%不可能であった。

  

2017年には、32年ぶりにスペインを訪れて友達との再会を兼ねて撮影旅行をする事にした。 わずか3週間の旅だったが、勝手知ったる所なので効率よく行きたいポイントを絞り込んでレンタカーで走り回った。 

32年前と違ったのは、今の日本と同じように車にはカーナビがセットされているので、印刷された地図はもう不要だった事だ。

  

今、地図をまともに読める人が減ってしまった。 昔は地図が読めなきゃ山も登れなかったが、今はスマホのおかげでグーグルMAPを利用すれば何もいらない。 自転車にも自転車専用の「カーナビ」が装着できる。 歩いたり、走行した軌跡は後で出力まで出来る。 生活の中で地図を読むシーンがなくなってしまった。

 

遠方に出掛ける時、グーグルMAPの縮尺を変えて全ルートを表示させて、全体地図を頭の中にイメージとして入れて置くのは、地図で育って来た人間なら自然に取るアクションだと思う。

 

カーナビ時代・グーグルMAP時代に生まれ育った若い人は全体地図に一瞥はくれても、頭の中に地図としてイメージを焼き付けている人は少ないのではないだろうか。 もし地図のイメージが頭に入っていれば、常に自分が全体像の中でどのあたりにいるか無意識に感じる事ができる。

 

ナビをスタートさせると、何メートル先を右に曲がれ、左に曲がれと言われる連続だ。 残りの距離が何キロだかは表示されているが、「今まで何をしてきたのか、これからどうするのか」説明がないまま「あと何時間このまま目を閉じてじっとして耐えていろ」と言われている状況に、ある意味似ている。

 

汽車の旅は窓の外に景色を眺めていれば退屈しないが、雲の上を飛ぶ飛行機の旅は外を眺めていてもその内退屈してしまう。 だが目の前に設置されているパーソナル・モニターでフライト・ルートをリアルタイムで表示できる機体だとかなりフラストレーションを軽減してくれる。

 

私も、今となってはカーナビしか使わないが、それでも地図は好きだ。 出掛ける前にPCでグーグルMAPの地図を表示してズームを広げ、全体像を良く見て、それからズームを絞ってルートをゆっくりと追って、道中の町々や川など様子をできるだけその地図から読み取っている。 それを頭に入れて運転していると、事前に見て置いた地図の中の道を走って旅をしている自分を感じる。

 

学生時代にアルバイトでトラックを運転して地方都市を走り回っていた時代、いつも助手席に地図帖を広げ、信号で止まる度に目をやって辿る道を追いかけたり探ったりしていた。 不便極まりないが、そうやっていると頭の中に確実に辿って来た道と地図が焼き付けられて、ひとつの想い出ファイルが作られて行った。 仕事で走っていてもそうだったのだから、想い出作りの為の旅行となるとその役割はとても大きかった。

 

旅をしようと、道路地図帖を広げた時から旅は始まっている。 

 

カーナビやグーグルMAPは便利だけど、旅している感覚が全くない。 間違いがなくて正しい道を進んでいるのだろけど、ただひたすら走って「到着しました!」と言われるだけだ。

 

便利なのは間違いないが、旅にはロマンが欲しい。

 

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