日本人の暗算能力の高さ

例えば日本円で860円の買い物をしたと仮定した場合の話だ。 お店の人に1,000円札を渡すとする。 140円のおつりを貰う訳だが、日本の場合「はい140円のおつりね」と言って一度に渡すが、私が暮らした事のあるスペインでは最初に40円を渡しながら「はい900円」、続いて残りの100円を渡しながら「はい1,000円」と言う。

 

8,420円の買い物で10,000円札を渡すと、日本の場合「はい1,580円のおつりね」と言って一度に貰うが、スペインでは最初に80円を渡しながら「はい8,500円」、続いて500円を渡しながら「はい9,000円」、そして最後に1,000円札を渡しながら「はい10,000」と言うのだ。

 

これには面喰った。 最初は何を言っているのか、分からなかった。 しかも立て続けに2回も3回も小分けにしておつりを渡されて、遊ばれているんじゃないかと思った。 結局もらったおつりを数えなおして140円とか1,580円である事を確認して「あぁ、ちゃんとおつり貰ったんだ」と分かった。

 

しばらくして、訳がわかった。 彼らは暗算が大変苦手だったのだ。 特に「引き算」それも「複数桁の引き算」となると、大変難易度が高いのだ。 だからおつりは足し算をしながら渡すのだ。

 

一度、923円の買い物をした時、細かい小銭を持っていたので、1,023円渡した。 おつりは100円で済むので気を使ったつもりだった。 相手は目を丸くしてキョトンとした顔をした。 しばしの間を置いた後、相手は黙って23円を返して来た。 そしていつものように7円で930円、70円で1,000円、と足し算をしながら2回に分けて一生懸命硬貨を数えながらおつりを渡して来た。

 

これは暗算を超えた物があったようだ。 彼らの理解を遥かに超えた行為だったようだ。

 

私はフィジーにも在住経験があるが、やはり暗算能力に関しては日本人と較べるべくもなかった。

 

日本の算数教育の素晴らしさに改めて気づいたものがひとつあった。 娘の長女と息子の長女は同じ小学校2年生だ。 娘一家は私の近所に住んでいるが、息子家族はシンガポールに在住している。 先々月、息子一家が一時帰国して来た際に、娘一家も来てみんなで久しぶりに顔を合わせた。 同じ小学校2年生の孫娘の二人に決定的な違いがあった。

 

シンガポールで英語教育を受けている孫娘は掛け算が凄く遅い、そして良く間違えるのである。 「5掛ける9は?」と聞くと、一生懸命考え込んでいる。 痺れを切らした娘方の孫娘が「ごっく・しじゅうご~~♪」と歌いながら横で踊り始めた。 そう、シンガポールには九九がないのだ。

 

今の日本の小学校では「九九のうた」と言う暗記ソングを毎日歌っているそうだ。 その娘方の孫娘がスマホを操作してYouTubeで「九九のうた」を探して流してくれた。 確かに九九は日本独自の物なのである。 これがあるとないのでは算数以前に数字に対する理解度、接し方が大きく変わって来るのは想像に難くない。

 

もうひとつある。 今は習う人は大分減ったようだが、そろばんである。 数字の繰り上がり繰り下がりから始まり、そろばん学習の先には驚異的な暗算の世界がある。 そろばんを何年も習っている子供の暗算能力は、TVで観た事があるが、ただ唖然とするのみである。 そろばんの歴史自体はかなり古いが、それが今のような形になり発達し世に広まったのは日本だ。 今ではそれを見て、世界のあちらこちらでそろばんを取り入れようとしている動きがあるようだ。

 

そしてこれはその先にある「訓練でグレードアップできる暗算術」の話である。 私が銀行で勤務するようになった初任店で、「新規の顧客を訪問する際の折衝術」を学ぶ為に上司に随行した。 銀行としてはその会社の売上規模、他行取引、借入金、預金など基本情報を知りたい。 そして資金ニーズがどの位あって担保力は十分にあるのか等が知りたい。

 

しかしそんな事をストレートに聞くバカも、答えてくれる顧客もいない。 そこで一見なんでもない世間話を交わしつつ、相手が警戒しないようにしながら探りを入れる。 あくまでも世間話をしている様に振る舞うので、何桁もの数字が出て来てもメモはとれない。

 

知りたい数字を直接聞くのではなく、例えばであるが、商品単価を聞いておいて「あ~そんなにするんですかぁ」と言い、別の話の中で社員数を聞いて「わぁたくさんおられるんですねぇ」と感心をし、また別の話の中で配送トラックの台数は多いんでしょうねと探りをいれて「さすがなんですねぇ」と感嘆をする。

 

たまたま聞けた答えはさらっと聞き流すように振る舞う。 と言うように色々な雑談の中で、知りたい数字にたどり着く為に必要な要素をバラバラにしかも差しさわりのないように、話題に出して探って行くのだ。

 

相手がつい口を滑らせて大事な数字を口にしても、そのまま聞き流した振りをして話題を変えて警戒感を与えないようにする。 そんな話を横で聞いていても私にはちんぷんかんぷんで、最後に知るべき数字がどうなるのか、私にはそのケタ数すらわからなくなっている。

 

世間話のやりとりや、なごやかな笑いばかりだったのだが、上司は銀行に戻ると経緯記録表と言う日誌に見事にその知りたかったすべての数字を並べてまとめ、支店長席に報告したのである。 最初はきつねにつままれたようだった。 その後、場数を踏んで訓練を繰り返すうちに、私も徐々にやり方を身に付けて行った。

 

何でもない雑談の中でちらりと相手が口に出してくれた大事な数字を、聞き流すかのような振りをして談笑する。 しかし頭の中では他の情報と組み合わせ、何桁もの計算を即座にこなし、知りたかった数字を得て全体像を組み立てて行く。 必要なのは頭ではない。 訓練だ。

 

これはそろばん九九と同じ、暗算に特化した算術の「訓練」なのだ。 20代の若さで身に付けたこの瞬間の集中力はいまだに役に立っており、例えばTVニュースで、ある数字が出て来ると「と、言う事は、あれがああで、これがこうだから、年換算であれは幾らになるな。」と言う感じでほぼ瞬時・リアルタイムに何桁ものラフな計算を頭の中でしている。

 

暗算と言うと語学学習を思い出す。 私は不完全な言語も含め六ヵ国語を学んで来たが、その最大のコツは「暗記」であった。 文法を思い出したり考えているようでは、言葉を絶対自由に話せるようにはならない。

 

算数も語学も「知識」ではない。 技術なのだからとにかく繰り返し頭に刻み込んで身体に覚えさせるしかない。 若いうちの訓練が物を言う。

 

日本人の算数レベルは国際的にもかなり高い。 自分は算数が苦手だと思っている人達も、多くの海外の人達と較べると遥かにレベルは高い。 日本人をそう育てるツールが根付いている事は本当に幸運な事だ。 これは今後とも是非学校教育を通じ、いつまでも日本人の得意科目として継承して行って貰いたいと思う。

 

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