若いと言う事は何でも吸収力が高く、特に20歳前後に力を入れて学んだ物はしっかり身に付くと言われる。 それは特に「知識」より、「技術」について顕著に見られるようだ。
私の場合、それは「英会話」と「車の運転」だった。
「英会話」については、大学に入って趣味だったアマチュア無線に一層火がついて、当時憧れていたアメリカに一歩でも近づきたくて、毎日2,3時間も短波帯でアメリカの無線局と交信して英会話に夢中になって楽しんだ。 単に楽しむだけでなく、英会話自体のレベルアップを目指して来る日も来る日も熱中した。
その無線機やアンテナ設備を充実させる為に、大学に入ると同時にアルバイトにいそしんだ。 高収入が得られる運送会社で幌付2tトラックの運転を始めた。 三菱のキャンターと言うトラックで当時もっともポピュラーな2t車だった。
そのトラックで学校サボって働きまくった。 なにせトラックは自宅持ち帰りが許可されていたので、休日の私用も全部そのトラック。 付き合っていた彼女とのドライブもそのトラックだった。
走って走って走りまくった記憶がたくさん残っている。 24時間で東京から仙台往復なんて事もあった。 ただし今の様に、東北自動車道と言う高速道路なんかなかった時代の事である。 すべて下道、往きは奥州街道、帰りは夜中のトラック野郎で溢れる無法地帯の水戸街道を突っ走っての恐ろしい行軍だった。
4年間徹底的に鍛えたトラック運転は、私に身体と車が一体となるまで運転技能と、あらゆる危険の可能性を瞬時に察知する危険予知能力を身に付けてくれた。 それはあの歳で集中的に仕込まなければ絶対に身に付かなかったと思える物だった。
大学の4年間は、本来学業・研究に専念するための期間であり、真面目な学生達は、そこで生涯その人の力となって支えてくれる知力や理解力などをしっかりと身に付けたのだと思う。 私は英会話と自動車運転の技術を身に付けた。 それは生涯私の財産になってくれた。
私が唯一あの4年間で身に付けなった事を深く後悔している物がある。 「ゴルフ」だ。 もともと私は運動は不得意で、球技は何やっても話にならない。 体つきは大男で一見スポーツマンに見えるので、会社に入った直後、職場対抗の野球大会で、一塁手に抜擢された。 練習試合でパワーだけでホームランを打ったからだろう。
ピッチャーだのキャッチャーだの要職は、高校時代野球部出身の連中が占めて試合を仕切っていた。 私は自慢ではないが技術以前に、ルールも細かい事は何も知らない。 守備についてバッターが1・2塁間ヒットを打った。 当然今なら分かるがベースに居て捕球された球を受けなければならないのに、2塁の方に飛び出していって捕球した。1塁はからっぽ。 このプレーを見てすぐに外野に回された。
野球は遊びだからいいのだが、ゴルフは社会人にとって、特に営業職となれば大切な接待ツールだ。 某上場企業をこちらが接待をしたゴルフで、私がティーグランドに立つと、お客様の取締役部長がクラブを数本抱えてダッシュ待ち。 私が打つと一目散に林の中に球探しに走ってくれた。
もちろん毎週のように先輩と一緒に打ちっぱなしに行って練習をした。 ある時その練習場でプロの個人レッスンを申し込んで受けた。 トレーナーは「もっと!スイングが小さい!もっと!思いっきり!」と私のフォームを直そうとして声を上げた。 私は追い込まれて思いっきり打った。 球はキン!コン!カ~ン!と真上の屋根と後ろの壁に跳ね返り、冷ッとした。 トレーナーはそのまま何も言わず立ち去ってしまった。
その後職場や会社が変わっても、いつもゴルフはついて来て、恥はたくさんかいた。 私が救われたのは、下手くそなのにゴルフが好きだった事だ。 楽しかったのだ。 傍から見たらおそらく全く理解不能であったに違いない。 ならばそれに腕が伴っていたら、どれだけ私にとって手放す事の出来ない最高の友であっただろうか。
あの20歳前後の4年間でゴルフを学ばなかった事が、こんなに私の人生で悔やまれる事になろうとは想像だにしなかった。
人生を左右しかねない大切な4年間である事を、せめて孫達にはしっかり教えてあげよう。