私が生まれた1952年(昭和27年)は、戦後わずか7年のまだ国民の多くが貧しく質素な生活を強いられていた時期だった。 一般家庭に電気が普及し始めた1960年以後と言われている。 その時期に前後する私の記憶に残っている幼少期の我が家の「電化製品」もしくは「前電化製品」は以下の通りだった。
まず冷蔵庫は氷式で一番上の扉を開いてそこに大きな氷の塊をいれて、それで下の方の部屋を冷やすと言う物だった。 当時は氷屋さんが、頑丈な荷物用の自転車の荷台に氷を積んで売り歩いていた。 当然大して冷えないし、冷凍などは全く以って不可能だった。 一度母が何かの本を見てアイスクリームを作ろうとした。 丸一日、冷蔵庫に入れて私と姉は今か今かと楽しみに待ったが、ついに固まる事はなかった。
電話機は黒く重たい電話機で、今の電話機の様に電源は必要としていなかった。 2本の電話線にかかっている数十ボルトの直流電圧を利用して動作していた。 呼び出しは、その電圧を変動させて、電話機内部のベルを鳴らす仕組みだった。 ダイヤル式で、受話器からの音は小さいし、当然スピーカーなどは鳴らせないので内蔵していなかった。
ラジオがどの家でも愛用されていたが、真空管式で電源をいれても、真空管のヒーターが熱せられるまで、しばらくしないと音が出なかった。
テレビはブラウン管式・真空管式の白黒画像で、近所では我が家が一番最初に購入したらしく、良く両隣の家の人が来て一緒にテレビ番組を楽しんでいた。 テレビ放送時間も一日に数時間程度しか放送されていなかった。
部屋の照明は、蛍光灯はなく、ガラス玉でお馴染みの白熱電球しかなかった。 当時の電球はしょっちゅう切れたので、いつでも交換できるように何個か買い置きしていた。
当然エアコンはなく、金属製の羽根の扇風機で暑さをしのいだ。
家の元電源は、現在の様にスイッチを上げ下げするブレーカーではなく、ヒューズ式。 白い小さな陶器製の箱の蓋を、金属製のリングに人差し指をかけて手前に引き下ろして開くと、開いた蓋の裏側にヒューズ線が2本ネジ止めされている。 電気を使い過ぎるとそのヒューズ線が熱を出して切れる仕組みだった。
切れた場合は、蓋を外してネジを緩めてヒューズ線を交換する必要があった。 それも初期は、「ネジ止め端子が両端についたヒューズ線」は作られてなく、買い置きしてある大きな糸巻に巻かれたヒューズ線を引き出して、程良い長さにカットして、緩めたネジに巻き付けてから締める必要があったので、家庭の主婦にはかなり難しい作業だった。
この時代以降、科学技術の発展と共に、電化製品の進化は目まぐるしく展開して行った。 私はちょうどその時期に成長期を迎えたので、ごく自然にその流れを吸収して「科学少年」として育ち、興味の対象も趣味ももっぱら科学技術分野にかかわるものばかりだった。
その代表的な物がアマチュア無線だった。 お金のない高校生時代、なんとかして憧れのアメリカの無線局と交信したくて、技術雑誌を片手にノウハウを学びながら自分で無線機を作る事にした。 母からクッキーの空き缶を貰って組み立てるシャーシ(ケースみたいなもの)にして、父から貰った古くなった真空管式の白黒テレビを分解した部品を使って、そこに送信機を組み上げた。 それを使って短波帯でアメリカの無線局と交信に漕ぎつけた。
その後の私は大学生になっても社会人になっても、常に電子技術・機械工学を色々な趣味や生活に生かし、家の中には工具・工作機械・部品で溢れる「工作室」を作るぐらいの熱の入れようだった。 私の家に来てその工作室を見たお客さんは、どの人も呆れ果てていた様だった。
ところがである、こんな趣味の世界では人一倍科学技術には詳しかった私の目の前に、時を経てもはや追従する限界を感じる科学技術が立ちはだかる事になった。
まず「AI」である。 この世界には末恐ろしさばかり感じる。 人間が機械に洗脳され支配され、最後は殺される時代が待っているとしても全くおかしくない。 これを恐ろしい物とせず、開発に凌ぎを削る事を看過している今の社会には強く不安を感じるし、理解ができない。 既にAIロボットは難なく人の様に歩き回り、押し倒しても起き上がり、2歩足でもや4本足でも自由に歩行する。 人に対してプログラミングした通りに便利に従順に動いて働く。
しかしそれは逆に言うとプログラム一つで殺人凶器に生まれ変わり、人を襲う事など簡単にできると言う事を意味しているのだ。 当初開発する人間は平和利用を考えて開発する。 しかしそのままで済めば、原子爆弾は登場しなかった。 このように、私には否定的にしか見れないところが、追従する事ができなくなった証拠だと思う。
次に「車の自動運転」だ。 今後起こり得るトラブルや大きな事故ばかり頭をよぎって受け入れたくないと感じる。 そんな技術が必要だと思わない。 運転技術を捨てた未来の人間がうらやましいとはとても思えない。 人間が自らの技術を捨て、無能になるばかりの事を何故めざそうとするのか理解できない。 第一運転する楽しみや快感を、なぜ自ら捨て様とするのか理解できない。 このように否定的にしか見れないところが、追従する事ができなくなった証拠なのだ。
まるでかつて私の祖父母が、私にとっては当たり前だった技術を正面から受け入れる事はできなかったのと同じだ。
私は若い世代に全てを譲り、全てから退く事にもはや全く抵抗を感じない。
科学少年として育って来た私だからこそ、胸を張ってあっさりと諦めが付くのだと思う。