小説が実現してくれる物

私は小説を読んだ事がほとんどない。 驚かれるかもしれないが、小・中学生時代に幾つか文学全集に載っている物語を読んだ事があるくらいで、それ以降現在に至るまで自慢ではないが一冊も読んだ事はない。

 

別に本自体を読まなかった訳ではない。 学生時代はいつも自然科学関係の本を読み漁っていた。 世の中の色々な自然や技術の仕組みを知るのが興味深くて楽しくてたまらなかった。 とにかく物語にはあまり興味がなかったのだ。

 

私の妻は正反対で、毎日明けても暮れても小説を読みふけっている。 毎週の様に図書館に通っている。 私も付き合うのだが、図書館の中でうろついているのは、やはり電気・天文など科学全般に語学と音楽関係の書棚の前だ。 小説と比べ書棚の数は比較にならない程少なくて、何度か通っている内にどこに何の本があるか覚えてしまった。

 

時々妻が熱中して読んでいる小説をちらりと覗かせてもらうのだが、だいたい字が小さくて眼鏡かけても読みにくい。 目を凝らしてちょっと読んでみようと思うのだが1ページも我慢できない。 妻に何でそんなに熱心に読むのか聞いてみた。 とにかくその世界に没頭できるのが楽しいのだと言う。 「だって、それ作り話だろ?」と言うのだが、それは問題ではないようだ。

 

私にとって、本は科学を始め世の中に実在する物の真実やその仕組みを学ぶ為の物で、人が作った「作り話」にはとても熱中する気にはなれなかった。 小説は真実を記述したドキュメンタリーとは違う。 作者には大変失礼ながら、正直言って人が作った作り話に夢中になる事自体が、作者に手玉に取られて遊ばれているような不快感すらあったのだ。

 

昔は妻の趣味にまで関心はなかったのだが、最近一日中家で暮らすようになって、あまりにも妻との乖離が大きい事に気づいた。 私は自分の能力に他人と較べて欠如している部分があって、そのせいで小説に共感できないのではないかとまで考えた。 そこでいろいろ調べてみたら、どうやら小説の魅力と言うのは居ながらにして「疑似体験」出来る事にあるらしい。

 

なるほど、「そう来たか」と思った。 この「科学的」な説明でストンと落ちた。

 

若い時から科学少年であった私には「実体験」しか興味がなかったのだ。 時間的にも、経済的にも、環境的にも実体験できる事は限られている。 また実体験だとひとつひとつの実現にはそれなりの負担が伴い大変なので、実際に体験しようとする物を絞り込む段階でその世界の傾向が好みによって偏ってしまう。

 

しかし小説であれば多種多様な世界を気軽に体験できる。 読み慣れた妻ですら、借りて来た小説の内容が期待に反していたとがっかりしている事があるようだ。 しかし、せっかく借りて来たのだからと言って時間がかかるのにも関わらず最後まで読み通している。 後で感想を聞くとそれなりに楽しめたと言っている。 こんな場合も含め、小説の良さは幅広い世界を体験できると言う点だろう。

 

私はその意味で大変偏った世界しか体験して来ていないのかもしれない。 自分は実体験の世界を生きて来たんだと言って満足そうな顔していても、それは決して自慢できる事ではなかったのかもしれない。

 

私が時々一人の人間として、特に対人関係・人間関係についての理解力が足りないのではないかと思う時がある。 ある状況下で人はどう思うものなのか、どう行動するものなのかと言った理解力・推察力が妻より劣っているかもしれないと感じる時がある。 それは小説でより深く幅広い世界を疑似体験して来た人との差かもしれない。

 

 

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