むかし飼っていた黒のトイプードルのリカルド君は、散歩に連れて行くとチョコチョコ足を動かして何処までも嬉しそうについて来た。 ところが大分歩いた後、そろそろ帰るかと針路を変えた途端、大喜びしてぐいぐい引っ張り始める。 知らない道だろうが、何処をどうぐるぐる周って歩いていても、常に家の方向が分かっているのだ。 この方向感覚の鋭さには本当に感心した。
反対に、私の妻はまるで方向感覚ってものが無い様だ。 車に乗ってたった1Km程度でも、交差点をほんの何か所か曲がって走った所で降ろされたら、全く元来た方向が分からず、人に泣きつくしかないそうだ。 小さな犬っころでも自分の家にはまっすぐ帰れるのに、なんでそうなっちまうのだろう。
かく言う私は、例え何回も路地を曲がろうと、そこが初めて来た道であろうと、元来た方向は常に「あっち!」と指さす事ができる。 頭の中にはいつもグーグル・マップみたいな地図が映像として浮かんでいるからだ。 自分は固定された地図の上でマウスのカーソルが移動する様に動いているだけなので、現在位置(カーソル位置)から出発点の方向はイメージとして分かっていると言う感じだ。 これはインターネットが普及する前から同じで、当時は自動車運転用の道路地図帳のページがいつも画像として頭に浮かんでいた。
その地図は拡大された道路地図だけではない。 例えばスペインやミャンマーで車で国内を一周する旅をした事があるが、いつもその国の全体地図が頭の中にあって、その地図の中のどこをどちらに向いて進んでいるか、常に頭の中に画像としてイメージしていた。
飛行機で海外を飛ぶ時も、自分の現在位置が分からないと言うのはとても我慢ならないが、幸いほとんどの航空会社の席の前の液晶モニターにはカーナビの様に現在位置が地図上で表示されるので、それを欠かさず見ている。 低めを飛行する国内線は、眼下にまさに日本地図その物が広がって見えるので、精神衛生上とても良い。
私と妻は世界の認識の仕方に大きな違いがあるのではないかと思う。
私はすべての事象を頭の中でグラフィック・イメージ(画像情報)として認識している。 ビジュアルな世界なのだ。 昔から絵画や写真に共感したし、自分も小さい時は絵を描いたし、育ってからは写真撮影の趣味を深め、最後はそれを仕事にしたのも頷ける。
その代わり、小説などの本は全く興味ないしほとんど読んだ事もない。 物語に代表される言葉の世界は、集中力が続かず疲れてしまうので苦手なのだ。 ぱっと見て一目瞭然のビジュアルな世界にしか居る事が出来ないのだ。
それに対して妻はすべての事象を物語として認識している。 言葉の世界なのだ。 彼女は本が好きで毎週の様に図書館に通ってたくさん本を借りて来て、毎日読み漁っている。 私とは全く違う世界を生きている人だ。 だから人間関係の中での人の気持ち等への理解や推察がとても鋭い。 私が一番苦手な分野だ。
反対にビジュアルな世界への反応は最悪だ。 彼女が車を運転していて「そこ右へ!」と言われて右へ曲がる確率は何故か30%程度しかない。 左右がどちらかとっさにわからないのだ。 往きに通った道を帰りに同じ様に辿って帰れない。 ちなみに初めてその道を通る時の話でなく、何回も通った事のあるコースでの話しだ。 毎回「その信号を右?左?」と聞かれ「右だよ」と教えてあげると、左にハンドルを切ろうとするのがいつものパターンだ。
この二つの世界、ビジュアルな世界と言葉の世界と言う視点は、なかなか興味深いのではないかと思う。 身近な人がどちらの視点に立っているか考え、改めて見直してみると、その人への理解がより深まるのではないかと思う。