「人生どうやって生きたらいいのか、どうやって生きたら良かったのか、わからないね」と言ったら、いつもLINEでつながっている3歳年下の従妹が「人生やりたい事をする為に生まれてきたんじゃない? その方が幸せだよ、絶対に!」と返して来た。
私は「その意味では100点です」と応えた。 彼女はとても前向きな女性で、いつも快活そのものだ。 何かあってもくよくよしないで、何でも身体でど~~んと向かって行くとても頼もしいタイプだ。
もうすべては終わろうとする局面に入りつつある70を超えて、今更「どう生きたら良かったのか」と考えても全く意味がないかもしれない。 ただ、ここまで来て「自分はいい生き方をして来た」、「自分の人生に満足だ」と思える人がいるのだろうと思うと、つい考えてしまうのだ。
私の様に、人生でやりたい事を「100点満点」すべてやって来たと思っている人の全てが「自分の人生満足」している訳ではない。 心のどこかに満足できない物があるから「どう生きたら良かったのか」と考えるのだ。 欲が深いのか、望みが高いのか、性格が後ろ向きなのか、自分でも良くわからない。
ただ、満足できなかった物は何だったろうと思い起こすと、次々と思い浮かんで来る。
一番目は、サラリーマン時代に社会人として真面目に生きなかった事だ。 自分のやりたい事にしか本気にならなかった。 それは仕事ではなかった。 しかし、そのお陰で人生でやりたい事を「100点満点」出来たので二律背反である。
二番目は、自分のやりたい事の為に家庭を犠牲にした事だ。 もっと家族を大切にしてたくさんの幸せをあげるべきだった。 横で必死になって私を支えてくれている家族を尻目に、いつも自分の事ばかり優先して来た。 人生でやりたい事を「100点満点」出来たのは、その犠牲があったからだった。 我儘の極みである。
三番目は、周りの人との縁を大切しなかった事だ。 自分にはなんとか出来ると言う自信があったし、パワーでなんでも押しのけてそこそこやって行く事ができたので、周りの人の事は目に入らなかった。 人生で見過ごした大事な縁がたくさんあったと思う。 自分が選択した事なので、全ては自業自得である。
四番目は、むしろ一番最初に挙げなければならない事だと思うが、親不孝だ。 不義理をした父母に、特に家族として最後は私と二人きりになった母にはもっともっと愛を返したかった。 義父母にも心配ばかりかけた。 私が生まれた直後母の代わりに丸一年間も面倒を見てくれた祖母に対しても何も愛を返す事はなかった。 世界で一番私を愛してくれたであろう人達に甘え切ったまま見送ってしまった。
こうやって振り返ってみると、
快楽主義、自己中心主義、唯我独尊、甘えん坊と言う言葉に集約できそうだ。
確かにとてもじゃないが「いい生き方」とは言えない要素の羅列だ。 あらためて自分自身に愕然とする。 要するに、人生でやりたい事を「100点満点」やり遂げる為にこれだけの醜い姿をさらし、周りの人達を利用してしまったと言う人生だったのだ。
恐らく、人生でやりたい事をやり通せなくても、周りの人達を大切にして、誰が見てもいい姿で生きたら、胸を張って「自分の人生に満足だ」と言えたのかも知れない。
でも人生でやりたい事をやり通したいと言う思いを捨てる事は、私にはかなり難しい。 一生家の中に閉じこもって何もしないで暮らせと言われているのに等しい。
結局答えはわからない。