オンリー・ワン(Only One)より ファースト・ワン(First One)

私の生き方はちょっと変わっていた。 無意識の内に未踏の世界へ惹かれ、まるでアルピニストが抱くであろう「未踏峰」への夢みたいな物を持って生きて来た。 もちろんアルピニストの夢とは比較にならない程小さな物ではあるが、私にとっては常に人生の生きがいと原動力の源となっていた。

 

それは私が子供の頃から持っていた性格で、何でも自分の世界で夢を膨らましては行動に移す所があった。 人に構われるのが嫌いだった訳ではなく、人を構わない性格だったのだと思う。 だから人がどう自分を見るかにはあまり関心がなかったと思う。

 

一方、人が既にやっている事には関心が無かった。 特に「自分がやっている事に近い世界」で活躍している人がテレビに出て来きたら、まず見ようとはしなかった。 決して興味がない訳ではなく、それが素晴らしいと思うものであればあるほど、その影響を受けてしまう事を嫌ったのだと思う。

 

本来なら影響を受けると言う事は学びでもあり、ブラッシュ・アップと言う目的で進んで受け入れるべき事なのかもしれないが、私は自分が磨かれる事よりも、自分の世界が不完全であってもそのまま自分である事を選んで来た。 言って見ればエゴイズムの世界だ。

 

そんな独自の世界で今まで何をやって来たかと言えば、その価値はともかく色々ある。 趣味の世界での専門的な物が多いが、あまり一般的な話ではないので、ここでは誰にでもわかりやすい物をひとつ挙げると「キャンピングカーの製作」がある。 そして趣味を超えた世界では「タイムラプスの普及事業」がある。

 

 

【1975年当時、商用バンを改造してキャンピングカーを製作】

 

今でこそ珍しくなく、製造販売しているメーカーは沢山あるが、 1975年当時は、自作する人の話は聞いた事なかったし、国内メーカーも皆無だった。 日本国内にはオート・キャンプ場が一つもない時代だった。

 

私は学生時代の最後に憧れのアメリカに渡り、アラスカでたくさんのキャンピングカーと言う物に出逢いその魅力に取り憑かれ、帰国後すぐに自作しようと作業に取り掛かり一年近くかけて完成した。 今の時代の豪華キャンピングカーから見たらまるでおもちゃの様だが、そのおもちゃですら当時の日本では見た事がなかった。 

 

何年か経って、代々木公園で日本初のキャンピングカー・ショーが開催された。 見に行ったが、高価なアメリカ製の輸入キャンピングカーが展示されているだけで、見に来た人はその飛び上がる様な価格に言葉少なげだった。

 

私はがっかりして、会場の駐車場に止めてあった自作の改造キャンピングーの中でコーヒーを沸かして昼飯を食べ始めた。 気が付いたら私の車の周り人だかりが出来ていた。 会場内の展示車より熱心に覗きに来た人が多かったと言う懐かしい想い出だ。

 やましい女性ではありません。その後結婚した女房です。

 

 

【2012年、日本でタイムラプスの普及事業を開始】

 

私の人生の現役生活の最後に切っても切れない縁となった物がタイムラプス撮影だ。 南国フィジーの会社で勤務していた時に、大変珍しい南洋の景色をタイムラプスで撮影する事から始めた。 当時日本ではほとんど知られていなかった撮影技法だったが、その世界では日本より進んでいた韓国の知人から強く勧められてタイムラプス撮影を始めた。 ノウハウは全くなかったが、ドイツにタイムラプス画像処理ソフトを開発していたその世界のスペシャリストがいる事を知り、すぐに連絡を取り、ノウハウを学びながらスタートした。

 

やがてフィジーから帰国してタイムラプス撮影専門の個人会社を開設し、関連機材の輸入販売と撮影事業を同時に開始した。 テレビや映画のシーンで使われるタイムラプス動画や、色々な企業の記録映像としてタイムラプス動画を撮影した。

ドーリーと言うレールの上を移動させながらタイムラプス撮影

このドーリーを韓国の友人のメーカーから輸入販売もしていた

一方でネット動画、講演会、書籍出版を通じてタイムラプスのノウハウを普及する活動にも注力した。

各地で講演会を開催

一応こんな物も

その後タイムラプスは急速に日本の社会に広まった。 また遠隔地の土木・建設工事現場などの撮影用に「1年~2年の長期にわたりネット経由で遠隔操作で撮影する装置」を考案し各地で撮影を行った。 廃業時にはその技術すべてを、申し出てくれた企業に継承する事になった。

秋田県の橋梁工事現場での撮影の様子

サラリーマン時代は趣味にうつつを抜かしてばかりの不良サラリーマンだったが、好きな分野で独り立ちして、人生で初めてまとまな仕事をした。

 

 

趣味だろうと仕事だろうと、その時はただ夢中になっただけで、それが初めての事だからと意識して取り組んだ訳ではなかったが、結果的にいつもファースト・ワン(First one)の世界でやりたい事をやって来た。 

 

ファースト・ワン(First one)の世界がいつも輝いていて、私をこまねきしていたのだと思う。 私にとってはオンリー・ワン(Only one)より惹きつけられる生き方スタイルだった。

 

コメントする