私の妻はもう30数年前から「随筆の会」と言うある先生を囲んだ主婦の集まりに参加していて、月に一回決められたテーマでエッセイを書いている。
1年ほど前に溜まり溜まった過去のエッセイ作品をすべて集めて編集し、製本材料を買って印刷・製本して立派な1冊の本に仕上げてあげた。 私は中身には興味がなかったので、編集しても改行とかフォントなどの体裁を修正することはあっても中身を真剣に読む事はしなかった。 妻本人やその会のお友達はヒヤヒヤしていたそうだ。 なぜならばほとんどのエッセイ作品が私に関わる苦言だったからだ。 そう言われてから製本したエッセイ集を読み直してみたが特に腹は立たなかった。 彼女も相当抑えては書いたのだろうが、こんな事で発散してくれていたなら有難い限りだと思った。
ここ1年は私も仕事が楽になり余裕が出て来たので、毎月の彼女の作品の文章の添削をしてあげるようになった。 それはよくよく彼女の書いた作品原稿を読んでみると、ちょっと手を入れたくなるような点が少なからず目についたからだ。 自分の書いたものは感情に流されがちで見えない物も、他人が書いたものは目につくものだ。 与えられたテーマでは書いてあるのだが、あまりにも「起承転結」の構成に乏しくて何を言いたいのか不明瞭な物が多かった。 専門家ではあるまいし大した事はできないのだが、それでも「てにをは」に始まり文章構成だとか文章の流れだとか、「部外者」の目で多少なりとも手を入れ助けてあげられる事はある。 彼女も回を追う毎に私の関与に依存するようになり、今や半ば共同作業になりつつある。
私が文章の添削をする事に抵抗がないのは、20代の後半に銀行の支店勤務をしていた時に、赤字企業への難しい本部決裁の貸出稟議書(協議書)の作成で徹底的に文章書きを鍛えられたからだと思う。 副支店長に何回も何回も書き直しで突き返されたのである。 当時はPCは普及していなかったので十数ページの書面も鉛筆の手書きだった。 「ここを書き直しなさい」と1ページ目のある場所を指摘されると、何行も後ろにずれるので、精緻な分析一覧表なども含んだ残りの10数ページをすべてを一晩かけて書き直して翌日持って行くと、今度は次のページのここを直せと言われ、また残りの10数ページも書き直し。 最後のページに辿り着くまで全ページ書き直しが延々と繰り返された。 今は私を鍛えてくれたその副支店長には大変感謝している。
ところで、私がこの文集を書き始めて20作目くらいになるが、今になって初めてこれがエッセイと言うものだと言う事に気が付いた。 私は最初からエッセイと言う意識や認識は無く、「人生の反省文集」のつもりだったので、この発見にはちょっと驚いた。 人生を振り返ってのエッセイって事になるのだろう。
私はずっとエッセイなんて自分にはとても書けない無縁な存在だと思って来た。 しかし、20年ほど前に6ヶ国語の習得体験に関する長編連載メールマガジンを公表した事があったのを思い出した。 あのメールマガジンも、連載物ではあったがエッセイと言えばエッセイだったのかもしれない。
今、気が付けば自分は妻と同じ「エッセイ」と言うものに立ち向かっているのだとわかったら、更に妻のエッセイの添削に、真剣さと楽しさが出て来た。 そして余り私が手を出し過ぎて自信を損なわせるような事がないように、細かい事にはできるだけ触れず、方向性とヒントだけを教えてあげる事に努めるようになった。
私のせいで散々苦労をかけた妻に対しての償いとしてはほんの足しにしかならないが、我が人生の「かろうじて間に合った事」のひとつに加えられるのであればこんな事でも続けて行きたい。