この歳になってTVを見て呆れたり腹が立ったり失望したりする事が増えた。 世の中がすっかり荒廃して行くのを見てこれからの世代の若い人達は大変な事になるなぁと憂う事が増えた。
こんな世の中になってさぞかし困ってるだろうと、日頃から価値観・常識に私とそれほど差異がなく、まともな会社の第一線で活躍している我が息子に会った時に話をしたら、ケロッとしていて当然の事のようにかわされて全く危機意識がないのに失望してしまった。 関係ない、と言う感じで全く無関心なのである。 我が息子だけはと信頼していたので少なからずショックだった。
元々「ノー天気」で、「自分の子供たちが全て」の娘には話をするだけ無駄だと分かっていたので、ちょろっと触りの部分だけ話をしてみたら案の定、一笑に付されてしまった。
しばらくちょっと孤独感に浸ってしまった。 自分は爺さんになっただけなのかもしれないとも考えたが、どう考えてもこれからの世の中は少なくとも自分が生きて来た世の中と比べたら耐えられないほど多くの問題を抱えているようにしか見えない。 自分だったらまともに穏やかには生きて行けそうにない。
よくよく自分の子供達を見ていると、自分自身がある苦労や不満を持って育てられた事については、それを繰り返させまいと親と反対の対応をして自分の子を育てている事に気が付いた。
また周りを見ても、一般的に厳しく育てられた親は自分の子を甘く育て、逆に甘やかされて育った親は自分の子を厳しく育てているようだ。
だからその世代の常識に近い一般的な傾向は、次の世代ではひっくり返され逆の傾向を生んでいる。
世代ごとに波を打つように変化を繰り返し、更に後の世代に向かって全体的な中身の傾向も少しづつ変化しているようだ。
かつて親や祖父母を見て、昔の人だなぁと隔絶された距離を感じたものだ。 そしてそれは相対的(一般的)な問題ではなく、親や祖父母が特別に旧い考え方を持った人達だと言う絶対的(個別的)な問題だ思っていた。 そして自分は幾つになってもそんな旧い考え方を持った人間にはならないぞと思っていた。 当然のように。
しかし最近になって、若い世代との間には常に距離が相対的に存在するのだと分かって来た。 子供達世代と自分達世代のやっている事、感じている事には歴然とした違いがあるのだ。 この世代間に自分がかつて親や祖父母との間に感じていたのと同じような距離があると認めざるを得なくなって来た。
自分が「爺さん」になってしまった今、もはや抵抗は無駄だ。 実に無念であるが、素直にその距離を受け入れるしかないようだ。
親とは一線を画した我が子達も、いずれ彼らの子供達には同じように一線を画される日が来る。 必ず。