若い頃は夢に向かって夢中になって突き進む自分の姿があった。
今は「夢はなんですか?」って聞かれたら一瞬返す言葉に詰まってしまいそうだ。 いつの頃からか、夢とは縁遠くなってしまった。
若い頃は無限に感じる遠い未来があったから夢を描けたし、それが人生の原動力ともなった。
私の青春時代の夢は「アメリカ」だった。 幼少期、戦後まだ多数日本に在住していたいわゆる在日米国軍人の家族の家が隣にあり、同い年くらいの姉妹二人と良く遊んだ。 家に遊びに来た時は庭に洗濯用の金たらいを出して水を張ってプール遊びをしたりしたが、姉妹の家に遊びに行くと通される子供部屋には見たこともないアメリカ製の子供のおもちゃが溢れていた。 ハンドルをぐるぐる回すとオルゴールの音楽が流れてそのうち突然ボン!と蓋が開いてピエロ人形が飛び出すおもちゃとか、当時日本では絶対に見られないような子供の目を引くめずらしいものばかりでまさに夢の国だった。 家族みんなで歓待してくれた懐かしい想い出である。
街で金髪のアメリカ人の婦人などに会った時、覚えたての英語で「ハロー!」と声を掛けると、にっこり笑いながら堂々と「ハロー!」と返してくれるその姿は当時の日本人にとってはすごく新鮮で印象的な光景であった。
いつの間にか私の心の中には遠い国、アメリカへの淡い夢みたいなものが育ち始めていた。 だから中学では英語を猛勉強した。 中一の時からアメリカの女の子と文通を始めた。(当然英語の先生にほとんど助けて頂いた)
夢が決定的に燃え上がったのは高校に入ってからだった。 アマチュア無線と言う趣味に出逢って、「これだ!これでアメリカ人と会話ができる!」と飛びついてから、勉強そっちのけの3年間が始まった。 成績は最下位まで落ちたが、そんな事よりアメリカである。 無線機を買うお金はないので、クッキーの空き缶に壊れたテレビの部品を並べて無線機の製作を始めた。 とにかくアメリカ人と交信したいの一心で無我夢中だった。 完成した無線機は簡単なもので電信通信(トン・ツーのモールス信号の音で、アルファベット26文字の文章を送り合う通信)しか出来ない物だったが、とにかく短波帯を使ってアメリカ人と「意思疎通」が出来るようになったのだ。
結局、普通に音声で会話ができる電話通信が実現したのは大学に入ってメーカー製の無線機を買えるようになってからだった。 庭に梯子を立てて大きなアンテナを作って乗せて、ついに設備は整った。 毎朝2,3時間はアメリカの無線局との交信に夢中になった。 まさに夢の爆発開始である。
そんな中でアラスカのアンカレッジに住む10歳ちょっと年上のRayさんと言う方との運命の出逢いがあった。 私が熱心に英会話しているのを聞きつけ、他の局との交信が終わったあと私を呼んで来てくれた。 長時間色々な話をしてくれた後、「このレッスンを続けたければ、明日の朝同じ時間に同じ周波数に出て来て下さい」と言ってくれたのだ。 これがその後生涯にわたる親しいお付き合いが始まった瞬間だった。 毎朝2時間位の定期交信が大学卒業までの3年間一日も欠かさず続いた。
就職が決まったあと、卒業後の1ヶ月あまりを利用して、Rayさんを訪ねてアラスカに向かった。 当時は海外旅行自体が大変珍しい時代だったので、羽田空港には友達が10数人大挙して「見送り」に来てくれた大旅行の出発であった。 長時間のフライトが終わりに近づき、飛行機の窓からアメリカの西海岸が見えた時「ああ、自分の電波がここから眼下のアメリカに降り注いでいたんだ!」と思うと感無量になった。
とうとう夢のアメリカの地を踏んだのだ。 Rayさんに実際に会えた時の感激と興奮はとても言葉では説明できない映画やドラマの一場面のようだった。 正に永年の「夢」が花開いた瞬間だった。
1週間Rayさん宅にお世話になったあと、交信した事のあるアマチュア無線家を訪ねながら、西海岸をずっと南下する旅を続け、サンフランシスコではやはりママチュア無線をやっておられたRayさんの父親宅にもお世話になった。 生涯記憶に残る素晴らしい体験をする事ができた。
私は大学卒業後、無駄承知で面接試験を受けた大企業に採用されたのだが、それは最悪の成績にも関わらず並み居る有名大学卒の志願者を押しのけて採用されると言う奇跡だった。 「学生時代何をして過ごしましたか?」の質問に「アメリカ人と会話がしたくて、毎日無線交信に明け暮れました」と答えた一言で採用が決まったとの事だった。 就職不況で若干名しか採用しなかったその年、型破りな人間に期待がかかったとの事だった。 アメリカへ抱き続けた夢は青春時代の最後に大きな力で私を前に押し出してくれた。
このアメリカに憧れた夢は、アメリカは豊かであり、アメリカ人は知的で文化的で、優しくて思いやりのある世界のリーダーで、まさに私にとって「人生の教科書」的存在であったからだ。 そこには幼少の時の体験やアマチュア無線で交流した多くのアメリカ人や、アメリカを旅しながらお会いしたアメリカ人たちが、そして何よりアラスカの人生の恩人Rayさんが私の中で輝いていた。
年月は流れ、最近の「Make America Great Again」を声高らかに叫び、国際秩序すら大きく変えようとしているアメリカを見ていると複雑な気持ちになってしまう。 色々な社会矛盾・経済矛盾に立ち向かわざるを得ないのは良く分かるし、経済的なGreatを目指すのも良く分かる。 ただ、私が憧れたアメリカは、世界の人から一目置かれ尊敬される民主主義のリーダーたるGreatな国民性だったのに、それはいつの間にか姿を変えていた。 少なくとも私の青春時代の夢は、ただの「夢物語」になってしまった。
追った夢が結果的に錯覚となっても仕方ない。
それを追い続けた自分の姿勢や生き方にその輝きさえがあれば。


