人生その場限り

ずっと昔に絶世の美女・超可愛いと騒がれていた子に数十年ぶりに会った事があった。 言葉を失った。 茫然自失である。

それはそうだ、向こうだって昔男前で格好良かった(かもしれない)私を見て言葉を失っただろう。 美人だ美女だ可愛いとか恰好良いとかってなんだろう。 その時はその人が頭の先から足の先まで唯一無二の特別な存在に見えていた。その人の爪や髪の毛まで普通の人のとは違う特別なものだった。 しかしそれらはすべて幻想と勘違いだった。 それは絶対的な物ではなかったし、その人間の絶対的価値ではなかった。 たったひと時のその時だけの姿だった。

 

私は同窓会の類はどこか苦手で、昔から一度も参加した事がない。

仲が良かった友達やお世話になった人と、どこかで再開して今までどうしてたか話をして旧交を温めるのは嬉しいことだ。

しかし昔の知人との再会に際し、お互いに当時から新たな経験を積みながら新たな人生を歩んで来ているので、お互いに昔の本人とは違うはずだ。 そういう意味では新たな出逢いに似たところががある。

だから、最初からたくさんの仲間と「懐かしがりましょう」とその場を設定されての機会は集団見合いみたいで、ちょっと私には気遅れのする大仕事であると同時に、押しつけがましく感じてしまうのかもしれない。

 

私はかつて銀行勤めだったのだが、銀行に入って最初に支店に配属された時、口を酸っぱくして教え込まれたのが「現金その場限り」と言う言葉であった。 現金には名前が書いてないので、「その場を離れたら他の現金と区別がつかなくなってしまう。だから受け取った時には必ずその場で何度も数えて確認しろ。」と言う事であった。 特にお札については自信がつくまで縦勘定(一枚一枚親指で引きずり下ろすように勘定)と横勘定(扇子のように広げて数枚ずつ勘定)をやれと、新入行員の内は毎日何度も何度も練習させられた。

 

私はこの「現金その場限り」と言う言葉が気に入っている。 人生において多くの物が「その場限り」なような気がするからだ。 人生の中で色々な出逢いが目の前に次々と現れて次々と去って行く。 仕事の上の話でも、縁やチャンスとの出逢いも、人との出逢いもすべてがそうだ。 そして一度過ぎ去ったものはもう戻ってこない。 人生そのものが、「延々と並ぶすれ違いの旅」で、どこで何に手を出すか一度限りの選択の連続のように見える。

 

今振り返ると、ああ、あの時ああしてればとか、あの時あんな事しなかったならばとか、思い起こす事が沢山ある。 すべては過去に自分がした選択の結果だ。

 

自信家だった私は、今までの人生で目の前を通り過ぎる色々なチャンスには興味が無く、結果的に手を出さないまますれ違ってしまった惜しまれる出逢いが沢山あったのではないかと思う。 すれ違ってしまったものは二度と戻って来ない。 あっさりと諦めるしかない。 まさに、人生は「その場限り」の連続だと思う。

 

でもネガティブな事だけではなく、失敗も「その場限り」だとすっきりと割り切りたい。 忘れてしまいたい事に限っていつまでも思い出すから。

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