春の朝、鳥たちの合唱に立ち止まる

朝早く、散歩にでかけようと家の前に立った。 まだ人々の一日の営みが始まる前の澄みきった静けさの中に、ひときわ明るく爽やかな鳥の声が響き渡っていた。 まるで人間がお喋りをしているかのように、絶え間なく華やかに啼き続ける鳥 ―― 外来種で物まね上手として知られるガビチョウだ。 その合間には「ホ~ホケキョ」とウグイスも加わり、春の朝は木々の間に展開した合唱団が舞台を占領していた。

 

あの小さな身体で、ウグイスは「ホーホケキョ」と啼き、ガビチョウは「ピ~チクパ~チク」と喋り続ける。 しかも、その啼き方は日本中どこへ行ってもほとんど変わらない。

 

誰が教えたわけでもないのに、彼らは生まれた瞬間からその声を知っている。考えて見れば、人間の子は「ワン」とは言わず、犬は「ミャ~」とは啼かない。 生き物それぞれに固有の声があり、それが揺るぎなく受け継がれていくという事実は、考えて見れば不思議でならない。 

 

結局のところ、その啼き方は「DNAの中の塩基配列」という、目には見えない情報の束に刻み込まれている。 それが卵を通して次の世代に確実に受け渡されていく。

 

そう思いながら清々しい朝の空気の中を歩いていると、あの小鳥たちの必死な啼き声は、彼らの身体の中から湧き上がって来る、けがれの無い素直な響きだあることに気がつく。

 

マッチの先ほどの大きさしかない小鳥の脳に、明確な情報が刻み込まれ、その情報を頼りに懸命に生き、与えられた声を響かせている。 その姿を前にすると、こんな大きな脳みそを授かった自分が、小鳥に負けるわけにはいかないし、その脳を粗末に扱っては天の神様に申し訳が立たないと思わずにはいられない。

 

笑い事ではない。 実際に、せっかく授かった「考える力」の使い方を誤り、道を外したまま生きてしまっている人間は少なくない。

 

人間の脳は、創造もするが、破壊もする。 だからこそ、自然の声に耳を傾けることは決して無駄ではない。 倫理の世界では、常にこの二面性と向き合い、冷静さを保つことが求められる。 命をまっすぐに育んで生きている自然界の小鳥たちの声は、人間の心に直接飛び込んできて、同じように「まっすぐに生きる心」を呼び起こしてくれる。

 

朝の時間に精一杯声を張り上げ、まっすぐに生きている声を上げている小鳥たちの声に耳を澄ませていると、彼らが私たちに向かって「まっすぐ生きよ」と語りかけているようにも聞こえてくる。

 

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