自分が若い頃、どれだけ世の中の事を憂いた事があったか振り返って見るが、それほどあれこれ思った記憶はない。 私の場合、現役でバリバリ活躍していた時代、自分の事で頭は一杯だった。 もちろん、みんなと酒でも飲めば世の中の批判をしたり考えをぶつけ合う事はあった。 しかしそれは真剣に世の行く末を案じて議論したとは言い難かった。
そんな自分が、最近テレビのニュースを見る度に、世の行く末を案じる事が増えた。 このままでは世の中どうなるのだろうと本当に心配になる。 なのに我が子供達を見ていると、問題をさらっとスルーしてどこ吹く風と言う顔をして、それぞれの日常生活に埋没しているように見える。
無理もない。 私も昔はそうだった。 目の前の事で頭は一杯だった。 もちろん彼らにも、話をすればそう言った世の中の出来事に対して「問題意識」はある。 しかし「当事者意識」があるかどうかはちょっと微妙だ。 目の前の子供の事、仕事の事の方がはるかに差し迫った重要な問題だからである。
あまりに子供との間に隔絶感があるので、時々私自身に問題があるのではと思ってしまう事もある。 歳をとって問題意識が古いとか、世の中の変化について行けてないとか、心配性になり過ぎていると言った老人的発想と感覚のせいなのかと疑う時もある。
娘は2人のチビ達の保育園と学童保育の送り迎えに、お弁当と朝夕の食事作りをして、その上で自分は会社でフルタイム勤務! 息つく暇もない。 息子は脂の乗り切った40代、週末に自宅で小一時間の筋トレする以外はすべて仕事に埋没。 これじゃ世の中で起こっている事を十分に理解し、ゆっくりと見つめて考察するのは難しい。
思えば、自分も必死になって生きて来た。 とても真面目な優等生とは口が裂けても言えなかったが、人生一通り現役生活を終える所まで生きてこそ、見える物や感じる物があると思う。 見えた時には第一線から退いて、多くの場合は隠居の身で、社会への影響力はなくなってしまっている。
どうせ世代の相違と片づけられるのは分かっている。 私も若い頃、年配者の戯言(たわごと)に対してはそう思って切り捨てていた。 そうならそうでもいい。 本当にこの先の世の中が、それが戯言であった事を実証してくれるのなら、それにまさる事はない。
客観的に見て、自分は現役を退いた今、余るほど自由な時間がある。 日に何度かニュースを見たり、時事問題解説番組などもゆっくり見る事ができる。 明らかに昔より世の中をじっくりと見渡す事が出来ている。 そして何よりも長い社会経験を通して、物の真偽を見極める目は鍛えられて来ている。 あらためて子供達の生活の様子を見てみると、その差は歴然としている。
戦後80年も経って、世界は大きく変わろうとしている。 世界大戦が終わって、世界は大きな経済発展の下で平和な時代を享受して来た。 それが今あちらこちらで火花を散らし始めた。
世界の大国のリーダーが、民主主義だろうが共産主義だろうが露骨に独裁専制主義に走り、権力拡大に余念がなく、核兵器や弾道ミサイルを増強し戦争をも辞さない構えだ。 日本のすぐ隣の小さな専制国家までが核兵器と弾道ミサイルを増強し、自らの力を誇示している。
日本の隣の大国は海洋進出を強め、チャンスがあれば日本の領土すら手に入れようとしている。 世界一の面積を誇る大国は、太平洋戦争の最後の瞬間に日本敗戦を確実とみるや、両国間の中立条約を無視して突如敵国になり、不法に占拠した日本の領土を今だに返そうとする姿勢すら見せていない。
そんな中、平和ボケした日本は経済力でも防衛力でも取り残され、少子化・人口減少の一方を辿る中、無防備な外国人の国内不動産取得を看過し、国自体の存在基盤すら揺るがされようとしている。
ニュースでこんな状況が話題に上る度に私は居ても立っても居られない気持ちになり、こんな事ではおちおち老後も過ごせないどころか、棺桶に入ってゆっくりと眠る事すら出来ないと思ってしまう。
人類が歩んで来た歴史を振り返っても、平和がいつまでも続いた例はない。 長い「戦後」が過ぎ、もういい加減人間社会の協調の局面は限界に近付きつつある。 いわば大きな歴史の転換点に差し掛かっていると見るのが順当だ。
この危機感を若い世代の人達がどれだけ深刻に理解し受け止めているのだろうか。 若い世代の人達の大半が、この状況にしっかりと目を向けて、知恵を集結しようと真剣に考えているものと心から願いたい。 情けない話だが、スルーしているのは我が子供達だけであって欲しい。