「もうこの期に及んで何も夢中になる事など無くなった」と確信して半年が経つ。 趣味は10年以上前に決別したし、その代わりに情熱を燃やした個人事業も廃業したし、漠然と「これからは無心の境地で恩返しの余生を」なんて考えていた。
しかし気が付くと、いつの間にか朝から晩までnoteでエッセイを書くようになっていた。 そして文章を一生懸命考えていたり、考えた文章を推敲している夢を何度も見るようになった。 それで自分はそれに夢中になっているのだと気が付いた。
夢中になる物があると言う事は、興味を惹かれる物があると言う事だ。 「興味」とは「好奇心」が掘り出す宝物だ。 今、興味を抱く物が出来てそれに夢中になっているから、毎日生き生きと過ごし、あっという間に時間が過ぎて行っていると実感する。
夜中にトイレに目が覚める度に時計を見て「あぁ、まだ○○時かぁ・・・」とがっかりする。 寝ているのがつまらないのである。 早く3時~4時になって起きて活動を開始したいのである。 目が覚めて時刻が3時台と分かった時は「やった!」とばかり飛び起きる。
とにかく朝がうれしい。 それもまだ世の中の多くの人が寝ているその早朝時間帯は格別だ。 自分がこの静かですがすがしい時間をひとり締めしていて、何にも邪魔されず集中できると言うのがいい。 おまけに大好きなNHKの「ラジオ深夜便」は、「日本の歌・心の歌」の時間で懐かしい青春時代の歌を流している。 舞台装置は完璧だ。
起きてから3時間はPCの前であっという間に集中した時間が経ってしまう。 散歩・朝食などを挟んで午前中に空いた時間もPCの前で過ごす。 次の集中する時間帯は、昼食後から夕食が始まる5時までの4時間だ。 夜は9時過ぎには寝るので、結局毎日9時間程度はPCに向かう事になる。
とにかく朝飛び起きてから、夜あわてて寝床に入るまで書く事で頭が一杯だ。 この期に及んで、これでお金を稼ごうと考えている訳ではないし、何か商売の宣伝をしようと考えている訳でもない。 また「スキ」を集めて満足したいと考えている訳でもない。 「スキ」は頂ければもちろんとても嬉しいし、余り頂けないと何が悪かったのだろうと反省したりするが、だからと言って仮に全く頂けなくても書きたいと言う気持ちは変わらないだろうと思う。
元々文才がある訳ではないし、内容も多くの人に親しまれるようなカテゴリーは私の苦手領域だ。 私はただ自分の為に書いている。 自分が自分自身の為に、人生を完遂させる為に、人生の最後にやる仕事だと思っている。
自分をぶつけて内に積もった思いを形にしたいのだと思う。 音楽や絵画や彫刻でも良かったかもしれない。 職業を離れて「作曲」や「絵描き」や「彫刻」に打ち込んでいる芸術家は聴く人・見る人を喜ばす為に作品を作ってはいないと思う。 私は「書く事」を選んだ。
私は生まれて間もないガキの時から出逢う物に次々に興味を持って行った。 古い子供用のヴァイオリンを父の知人に見せられて「習いたい!習いたい!」と一晩泣いて、ヴァイオリンを習い始め、2年も立つと「やめたい!やめたい!」と泣いてやめた。
すると今度はソロバンに出逢って「習いたい!習いたい!」と言ってソロバン塾に通うようになって、1年もしないうちに「やめたい!やめたい!」と言ってやめたらしい。 とんでもない我儘ガキだった。
小学校2年生の孫娘には私の血が流れているようだ。 我が家に遊びに来て私の部屋に入ると「ねぇ、じ~じ、これなぁ~に?」の連発だ。 私の部屋にはあまり普通ではない物が一杯あるので、次から次に手にしては質問攻めをする。 永年の趣味関係の物の片割れとか残骸とかも彼女の興味の対象だ。
だからと言ってあるひとつの物に固執してはいない。 私の説明に納得すると、もうそれはどうでも良くなってその辺に放り出し、関心は次の興味を惹く物に向かう。 質問は延々と続き、私の部屋の中は滅茶苦茶になる。
子供の好奇心の芽を摘むような事をしてはいけない。 そんな事をしたらその子は成長しなくなってしまうに違いない。 私はガキの頃から常に好奇心を燃やさせて貰える環境で育ったのだと思う。 だから私の人生はずっと好奇心追及の連続だった。
果たしてまた好奇心を燃やせる対象を見つけ出して来た。 私が半年前、現役を引退した後、しばらくは酷かったらしい。 何もしなければならない事が無くなって、どうして生きたらいいのか、放心状態だったらしい。 私はそれほど記憶にないのだが、傍で見ていた妻はどうなる事かとかなり心配したそうだ。
大丈夫だ。 人は生きている限り、どんな環境でどんな状況に身を置かれても、必ず夢中になれる物を見つけ出す事が出来る。 人生を振り返れば、何かに夢中になった時があったはずだ。 今、心がそこから遠ざかっていても、身体が必ずそれを覚えているはずだ。