続けられるボランティア活動とは

どれだけの人が「世の中の為になろう」と思って人生を生きているのか良く分からないが、高い公徳心を持って生きている人はたくさんいると思う。 私は幼少の時から母に公徳心が大切と教え込まれて育ったが、亡くなった母には申し訳ないが母の願い通りには育たなかった。

 

私は「世の中の為になろう」と思って生きた事があったのかと自分に改めて問うてみた。 学生時代から始まって社会人となってからの与えられた職務や赴任地を順番に思い起こしてみたが、恥ずかしながら自分の事ばかり考えて生きて来た想い出ばかりで「世の中の為になろう」と考えて行動した想い出は一つもない。

 

会社勤めを辞めた後、立ち上げた個人事業で研究開発して来た特殊なシステムの技術情報を、廃業時に某企業にお伝えする事ができて、少しは世の中のお役にはたったかもしれない。 しかし、それは「世の中の為になろう」と思って手がけた物ではなく、あくまでも自分の興味や探求心で追い求めた結果で、「世の中の為に何かしよう」などと言う気持ちから行動した物ではなかった。

 

こんな私が、世の中の為に何かしようと本気で思ったと仮定して、実際何ができるだろうかと考えてみた。 一般的に世の中の為にできる事には何があるのか調べてみたが、例として上げられる物はいわゆる「ボランティア活動」とか「寄付」などの行為だ。 それらは世の中の為になる素晴らしい活動であり、多くの人達がその分野で活動されているのだと思う。 ただ私は「大勢の人達の中に埋もれて同じ事をするのは面白くない」と言うくだらない感情がある。

 

歴史に名を残すような偉人と呼ばれる人は、間違いなく飛びぬけて世の中の為に何か素晴らしい事をしたり残したりして貢献ができる。 しかしいくら考えても普通の人間は大それた事が出来る訳ではなく、地味な事でしか貢献できなさそうだ。 そこで「何かボランティア活動でもして見よう」と考える訳だ。

 

私は何人かの方から体験談を伺った事がある。 ボランティア活動をやり始めても続かないと言うのである。 だんだん活動が負担に感じて来た時、お金を貰う訳でもないので、そのうちモチベーションが下がってしまうと言うのだ。

歯を喰いしばって無理をしても、しまいには身体まで不調を来して止むを得ずやめてしまった事もあるそうだ。

 

ある方からとても良い話を伺った。 ボランティアは楽しまなくては駄目だと言うのである。 楽しかったら続くと言うのである。 そう言えば亡くなった義父が「ボランティアは最高のレクリエーションだ」と言ってたのを思い出した。 「世の中の為に働くのに自分が楽しむ」と言うのは何か不謹慎な気がしない訳ではないが、ふと私は自分がやっている毎日のゴミ拾いの事を思い出した。

 

我儘に生きて来た過去への反省として、少しでも償いになればと思って始めた朝の散歩時のゴミ拾いは、相手が人でなく比較的こっそりと、しかも一人で好きなように出来る点が抵抗なく、始めやすかった。 特に世の中の為になるとか大上段に構えた事でなかったのが良かった。 

 

それがいつの間にか、毎日の朝の散歩が楽しくて仕方なくなった。 レジ袋一杯になると「今日は大漁だ!大漁だ!」と喜び、ビール缶やペットボトルなどが見つかると「大物だ!大物だ!」と大喜びするようになった。 これは私のモラル基準からすると明かにルール違反だ。 ゴミを見つけて喜ぶのではなくて、顔をしかめてそっと拾うのが筋だろう。 しかしとにかく楽しんでいるからこそ、もう何か月も続いている。

 

続けられるボランティア活動には何があるのか考える時に、大変参考になる事例だと思う。 私自身も、今後さらに新たなボランティア活動に手を拡げようと思った時、この視点を出発点にして考えて行きたいと思う。

 

「世の中の為にできる事」と大風呂敷を広げると、いい答えには辿り着きにくいのではないかと思う。 もっと楽に「自分の身近にいる人の為に何かをする」そして何より「楽しめる事をする」を大切に考えると良いのではないかと思う。

 

人生の最後になってせっかく始めたこんな些細な行動を、今後とも楽しく積み重ねて行きたい。 こんな事しか出来ないけど、こんな事でも出来るようになって本当に良かった。

 

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