楽しみの代わりに

「人生を楽しまなくっちゃ!」と口癖の様に言い、私にも「残りの人生思いっきり楽しみましょう!」と声かけてくれる人がいる。 とても前向きでありがたいお心遣いなのだが、私の場合二つの理由で心のブレーキが掛かる。

 

一つ目は、私はこれまで散々遊び優先の生き方をして来て、あるべき姿の何倍も楽しみをむさぼって生きて来たに違いないので「もう楽しい事はいい」と言う思いがある事。

 

二つ目は、先々の事に対する考え方の違いである。 その人は先々の事に対して楽観的で、期待も込めて「良い事がある」とポジティヴに考えて「楽しもう」と考えている。 それに対し私は先々の事はあまり考えずに、その時々目の前の興味を抱いた物に向かってただ「挑戦する事」だけ考えて生きて来た。 楽しいか楽しくないかは私にとって目標ではなく結果だった。

 

私は例えれば「馬車馬」の様な人間なので、一瞬で燃え尽きてしまう様なものでは物足りなく、夢中になって走り続けられるものが必要だ。 しかし最近になって長い間挑戦して来たものが次々に終わりを迎えた。 終わったのに、今までの様に次の挑戦目標が見えて来ないからだ。 こんな事は人生で初めてだ。 それでこれからどうしたらいいのか考えるようになった。

 

私は間違いなく我儘の限度を知らず人生を楽しんで来た。 どんなに好きであったとしても程度と言う物がある。 その反動で今となっては楽しもうと言う気持ちは湧いて来ない。 恰好つけているように聞こえるかもしれないが、とにかく自分の事はもういいのだ。 酒もやめたし、タバコもやめたし、遊びもやめたし、本格的な趣味も全てやめたし、しいて言えばおやつにアイスクリームを1本食べたい位で、特に食べたい物もない。

 

今、気が付くと私は必死になって足跡を残そうとしている。 身の回りの趣味で作ったり買ったりした物は既にきれいさっぱり整理して廃棄してしまい、終活も出来るところまでやり尽くしたと言う感じだ。

 

今年の春に脱サラ後始めて、12年間続けて来た個人事業の看板を下ろした。 その際、私が開発した「長期タイムラプス遠隔撮影システム」をある企業に伝授した。 はじめはそのシステムをそのまま墓場まで持って行くつもりだったが、引き継ぎたいとの申し入れを頂いて私の心は動いた。 足跡が残せると思ったのだ。

 

1ヶ月前から書き始めたエッセイも、「私の自由奔放に生きて来た人生を振り返り、気づいた反省点を巡りながらいろいろな想いを綴る」と言うコンセプトで始めたものだ。

 

3ヶ月前から練習を始めたヴァイオリンは、私の身近な人達の心の中に私の足跡を残そうとしているのではないかと思う。

 

恐らく、これからも折に触れ、何か足跡として残せるものがないか模索して行くのではないかと思う。 そしてこれは私の人生最後の挑戦になると思う。

 

私は多くの人達と同じように特別な「偉人」ではないので、残した足跡はいずれ世から忘れ去られる。 足跡は私となんらかの縁で関わった、私を知っている人達の為に残している。 その人達もこの世から去る時が来れば、かすかに残せた足跡も綺麗にこの世から消え去って行く。 楽しく人生を生き抜いた一人の男の足跡を、その余韻の様に残そうとしている。

 

 

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