海軍中尉で戦艦伊勢に乗った父は無事終戦を迎えて復帰、矛盾に満ちた世の中の真実を知ろうと経済学研究の学問の道へと進んだ。 72歳で病床に倒れたが、見舞いに来た教え子達に手術跡を見せながら、何が悪くて何をしているのかをまるで講義をしているかの様に教えていた。
2度目の手術の直前、ICUに母と姉と共に見舞った時、仰向けに寝たままの父が、何を考えたか突然私の片手を自分の片手で握り、向こう側にあったもう片方の腕を大きくこっち側にパタンと倒して私の手を両手の平で挟む様にして握った。 突然の予想もしなかった動作なので母も姉もびっくりしたようだった。 父はとても穏やかな顔をしていた。 やがて寝台に乗せられたまま手術室に出発する事になった。 目を閉じて仰向けになったまま運ばれる父が「行って来るぞ」とばかり片手を高く上にあげた後ろ姿が、意識のある父を見た最後の姿になった。
姉は後になって、ICUで父に両手で手を挟んで握られた私がうらやましかったと話した。 父は何十年か前に出征した時と同じように手を上げて勇ましく戦地たる手術室に向かったのだ。 それには全く不安や迷いは感じられなかった。 そして万が一の事を覚悟して、私に「後を頼むぞ!」と手を握ったに違いない。
成績優秀だった姉は精神病院の臨床心理士として精神障害者に手を差し伸べる仕事をしていた。 健康には恵まれず30代で乳がんにかかり胸を切除した。 40代で股関節脱臼で手術をしたが障害が残って杖をつくようになった。 不運は続き61歳の時、進行したすい臓がんが見つかり入院生活が始まった。 ある日仕事の帰りに入院中の姉を見舞うと、目をつぶったまま寝ていて意識はあったが苦しそうに呼吸をしていた。 酸素吸入マスクをしていたので話はほとんどできない状態だった。 やがて横にいた旦那が姉の脚をさすり始めたので、私も片方の脚をさすってあげた。
しばらくすると、姉はマスクをしたまま絞り出すような声で「辛いから帰って」と私に言った。 そんな事を言うなんてよっぽど苦しかったのだろう。 私は病院を後にし、電車に乗って家に帰った。 およそ1時間後、家に着くと同時に電話が鳴った。 姉の旦那からだった。 たった今息を引き取ったと言われた。
夫を失った12年後にまさかの娘を先に見送った母は、どれだけショックだったか分からないのに、泣き言や弱音ひとつ吐かなかった。 気丈に振る舞ってそれから8年間生きてくれた。 4年ほど経って86歳になって介護施設に入った母を私は毎週のように見舞うようになった。 少しずつ少しずつ母は老いが進み遠ざかって行った。
ある日の午前中、母の部屋に行くと母は眠ったまま目を覚まさなかった。 私は部屋の中に何かいつもと違う香りを感じた。 その日の夜施設から電話があって、母が眠ったまま息を引き取ったと連絡があった。 90歳だった。
優しい知識人であった父と聡明な母の間に生まれ、姉と共に幸せな4人家族の家庭で何一つ不自由なく育てられた。 優秀で世の為・人の為に尽くした順にこの世を去って行った。 最後に一番「屑」の私がひとり残された。
順調に事が進めば、恐らく私は妻と子供たちに看取られてこの世を去るのだが、どのような最期を見せて去るのだろう。
同じこの世を去るのなら、せめて最期くらい父の様に格好良くこの世を去って行きたい。