夕陽を眺める想い

私の父は4人兄弟の長男だったが、私より若い72歳の時に急病で他界した。  そのすぐ下の叔父は昨年99歳で天寿を全うして眠るように世を去った。 その叔父は町医者から一代で病床数200を超える総合病院を築き上げた立派な医者だった。 息子に病院を継いだ後も98歳半までは毎日病院に通い研究を続けていたそうだ。 

 

その叔父が夕方になるとコーヒーを片手に病院の横を流れる川の土手に上がり、ずっと沈みゆく夕陽を眺めていたそうだ。 「朝陽と夕陽は身体にいいんじゃ」と言ってそうしていたそうだが、その話を聞いて、私は叔父が夕陽を眺めながら何を考えていたのか、是非聞いてみたかったと思った。 そこまで首尾一貫した立派な人生を全うした人が最後に夕陽を眺めながら何に思いを馳せていたのだろう。

 

私なら恐らく「懐かしさと反省」だろう。 こうも生きれたはずだ、ああも生きれたはずだと懐かしい想い出と共に自分の過去を振り返り、無性にはかない気持ちに襲われてしまうのではないかと思う。

 

叔父は、苦労して歩んで来た後悔のない足跡を振り返り、満足感に満たされていたのだろうか。 しかし、神様はどんな人にも試練を残して行くものだ。 幸せな生涯を生きて来た叔父が、以前に私の父にふと辛そうに涙を抑えながら漏らしていた話がある。 それは早く他界してしまた叔母の事だ。 忙しい町医者から総合病院に育てて行く過程で、仕事を支えて貰らった叔母には相当負担をかけてしまいそのまま亡くしてしまったと悔やんでいた。

 

夕陽を眺める瞳の中にはそんな叔母に対する思いもあったのではないかと思うと言葉には出ない叔父の心の叫び声が聴こえて来る。 女は一人残されても夫との想い出を大切にしっかり幸せに残りの人生を生きて行ける。 だが男は時に母の姿と重なる妻に看取られて他界するのが幸せだと思う。 妻に先立たれた男は本当に一人だ。 やはり寂しい。 それに苦労をかけてしまったと言う悔いがあるのだったら猶更だろう。

 

「朝陽と夕陽は身体に良い」と言っていた100歳直前の偉大な医者が夕陽に重ねて見えた物は、最終章を迎えた全ての過去を含んだ自分の人生そのものであったのかもしれない。 背景には荘厳な交響曲が鳴り響いていただろう。 早起きして朝陽を見る機会もあったと思うが、朝陽にはきっと違うものが見えていたのではないかと思う。 若い頃からの熱心な研究生活、苦労をものともせず暮らして来た自分の生き生きとした姿にそれを支えてくれた周囲の人達の姿が重なった溌剌とした行進曲が聴こえていたのではないだろうか。

 

そんな素晴らしい人生を送れた叔父は、本当に幸せな人だと思う。 私がこれから朝陽や夕陽を見て何か曲が聴こえて来るのだろうか? 幾ら想像しても輝かしい行進曲や荘厳な交響曲は聴こえてこない。

 

その代わり、遠くからMy Wayが聴こえて来るのではないか。 その詩は私の人生その物だ。

30代から50代にかけてカラオケに熱中していた頃の私の十八番だった。

そして老後となった今、バイオリン演奏を再開し妻のピアノとの「狂演」に妻が選んだ曲もMy Wayだった。 

常に私と共に在ったこの曲は、きっと私の最期も歌い上げてくれるだろう。

 

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