人間は他の生命を殺して食べなければ生まれもしなかったし生きても行けない。 菜食主義者だって食べている植物は立派な生命を持った生き物だ。
バクテリアだけは光合成による光エネルギーを利用して水と二酸化炭素から糖を生産し以降の食物連鎖の起点となっているようだ。
大宇宙と言う物質世界の中で、「水」に恵まれた地球が起こした奇跡が生んだものが生命と言えるようだ。
始まった食物連鎖は基本的に喰い喰われるの連鎖で、その頂点に人間がいる訳だ。 すべての命は食物連鎖の上位の生き物に食べられた瞬間、命が絶たれる。 人間の都合で保護される生き物もいるが多くは見向きもされない。 そして食物連鎖の頂点にいる人間ですら幾ら頑張ってもやがて寿命が来て死ぬ。
今までの人生で沢山の知人が亡くなって行った。 お墓の中に遺骨は残っているが、その生命ある姿はもう見えない。 召されて天国にいて幸せに過ごしていると信じたいが、実のところは何も確証はない。
私が小学校低学年の時、「ボクが死んだら、死んだってわかるボクがいなくなるのに、どうやってボクは死んだってわかるの?」と何度も聞いて母を困らせた。 母が何と答えていたのか、残念な事に覚えていない。 でも生まれて数年しか生きていない子供がそんな疑問を抱いた事に、そこに人間の普遍的な疑問のテーマがある事を感じる。
このテーマの答えは大人になっても死なない限りわからないようだ。 しいて言えば想像して信じるしかない。 私は高校生時代に、自分は前世の記憶を持っていると話すちょっと変わった友人がいた影響があって、昔から漠然と死んだら生まれ変わるのかもしれないと思って来た。
私はいわゆる宗教には縁もゆかりもない人間だが、ある時ふとした事から、古代から多くの宗教が輪廻転生あるいはそれに類する教えを説いている事を知った。 私はそれを知った時、自分が思って来た事はやはり正しいのではないかと確信を深めるようになった。
私の考えの出発点は、あれこれ考える自分と言う主体は永遠に不滅だと言う事にある。 まさに子供の時に持っていた疑問に応えた自分なりの解がそこにある。 多くの人は外見的に死ぬんだからその意識の主体も無くなると考えるのかもしれない。 だから話はわからなくなる。 しかしそれはそうではないと考える事によって話は展開する。
私はまもなく寿命を迎える年齢に近付きつつある。 今まで生きて来て初めての経験だから不安に思う時もない訳ではない。 しかし自分は既に過去に何度も何度もそんな体験をして来ているはずなのだ。
死んだ瞬間、入れ替わるように何処かで生まれ変わっている。 同じ人間かもしれないし昆虫か動物かもしれない。 もしかしたら道端の草花かもしれない。 何に生まれ変わるかは、現世での生き方で決まる。 大悪人はノミのような虫けらに生まれ変わるかもしれない。
ただ、前世での記憶は全く消されているので、自分の過去を知らないだけだ。
そんな事を考えていると、世の中でこいつだけは絶対許せないと腹を立てるような人間がいても、穏やかな気持ちになれる。