坂道であることを受け入れる三十年

歳を取るにつれて身体は徐々に衰え、どこかに不具合が出てくる。 まわりを見ていると、還暦を過ぎたあたりからその傾向は一気に強まるようだ。

 

私の場合は、六十歳を過ぎた頃はまだ健康上の不都合も懸念もなかった。  現役そのもので、六十代後半まで勢いよく走り続けられた。 それが七十歳を過ぎた途端、ガクッと来た。

 

最初のうちは「これは一大事だ」と思い、医者に行き、治療法を探し、真剣に向き合っていた。 だが、定期健診で主治医にちょっとした不調を訴えたとき、間髪入れずに返ってきた言葉は「加齢です」 その一言で、ふっと肩の力が抜け、どこか悟りを開いたような気持ちになった。

 

平均的な日本人として八十代で世を去るとして、その直前まで完全に健康で、ある日突然ぽっくり逝く ―― そんな都合のよい最期はまず訪れない。 「六十歳からの三十年は、ゆっくり坂道を下っていく時間なのだ」と達観できれば、次々に現れる不具合に驚いたり、落ち込んだりする必要もない。

 

私より数年若い友人三人と久しぶりに話をする機会があった。 三人が三人とも「ぎっくり腰」に悩まされていた。 二人は腰以外にもヘルニアなど痛みを伴う不調を抱えていた。 その話を聞いて、私は少し救われる思いがした。

 

というのも、私はぎっくり腰とは無縁だが、最近は頸椎のヘルニアで不自由している。 首の痛みに加え、右腕から先に力が入りにくい。 握力も落ち、キーボードを打つときは右手は人差し指と中指の二本しか使えていない。 こうした不調は、決して自分だけのものではないのだ。

 

細かい不具合はほかにもある。 飛蚊症、ぐらつく歯 ―― 昔と比べれば、身体は確実に「劣化」している。

 

私より数年若い親戚の男性は、電話をしてくるとまず数分間、不調の羅列が続く。 何と言って返事をしたら良いか、いつも少し躊躇してしまう。

 

さらに、いくつかの習い事をしている女房の周囲には、同年代やそれ以上の友人が十人近くいるが、そのほとんどが救急車に乗った経験があるという。 ご自身ではなく、ご主人が倒れて運ばれたのだ。 脳梗塞、脳溢血、心筋梗塞 ―― 複数回経験した方もいる。 倒れるたびに身体の自由を失い、中には聴力を完全に失った方もいた。 私より年上もいれば年下もいる。

 

そのような状況と比べたら、私の不都合など不平不満を言うには到底当たらない。

 

自分より不遇な人を見て安心をするというのは、罰当たりかもしれない。 そんなことをしているといつか倍になって返ってくるのでは、とも思う。 だが、事実を事実として受け止め、前向きに生きるための材料にすることまで、罪とは言えないだろう。

 

必要以上に健康を恐れ、それに支配されてはならない。 悲壮感を抱くことなく、淡々と坂道の散歩を受け入れていく。 それがよいのだと思う。

自分の長い人生を俯瞰し、構えを整えて日々を送る。 今は、そんな気持ちでいられる。

 

還暦を過ぎたら、健康上の不都合発生は覚悟し、無理に完治を目指さず、三十年かけてゆっくり悪化していくことを許容する ―― そのくらいの心構えでよいのではないか。

私はそう考えるようになってから、気持ちがとても楽になった。

 

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