生きていて恥ずかしいと思わないのだろうか

毎日のニュースでは、詐欺事件が頻繁に報道されている。 金をだまし取ったり、若い女性を言葉巧みに誘い、時には暴力までふるって水商売や売春をさせ、金をむしり取る男たちが後を絶たない。

 

私はホームページの運用歴が四十五年近くになるが、長年ネット空間にさらしてきた三十近いメールアドレスは、ほとんど無防備だった。 そのため、毎日百件近い詐欺メール、フィッシング・メール、スパム・メールが届く。 すっかり慣れてしまい、着信メールの峻別も手際よく、あっという間に終わる。

 

世の中は「人を騙そう」とする人間で溢れている。 真面目でお行儀が良く、犯罪が少なくて安全・安心だと定評のある日本ですらこの有様なのだから、海外ではどうなのかは推して知るべしだろう。

 

「他人を騙す」という行為は、例えるなら「ダニ」や「害虫」と何も変わらない。 生活に苦労している人は五万といるが、だからと言って人を騙してまで金を手にし、良い思いをしたいと考える人ばかりではないはずだ。

 

それでも実際には、多くの恥知らずな悪行を働く輩が世に溢れているということは、それだけ「配線が狂った」不良品がたくさん生まれているということだ。 どんな製品の製造ラインでも、一定の不良品が発生するというが、人間も同じなのかもしれない。

 

ただ、人間は製品とは違い、不良品だからと言ってゴミ箱に放り込むわけにはいかない。 同じ人間として権利が与えられ、保護され、堂々と生きることができる。 見つからないようにさえすれば良いのだ。

 

ゴミ箱つながりで話が飛躍するが、ゴミ箱に放り込まれるべき人間は、ゴミ箱にゴミを放り込まないようだ。 ゴミ拾いをしていて愕然とし、同時に悲しくなるのは、人目のない所、すなわち「見られていないところ」にゴミが集中して投げ捨てられていることだ。

 

街中に陰になった空き地、特に隣が駐車場である場合は、明らかに駐車場側から投げ入れられているのがわかるゴミが散乱している。 人通りが少ない区間にある空き地も、同じように集中攻撃を受けている。 要するに、多くの人間が表向きは善人を装っていても、チャンスさえあれば悪事に走るという現実を思い知らされる。 そして、そういう人間がいかに身近に多く存在していたのかを痛感する。 詐欺を働く人間と、あまり大きな違いは感じられない。

 

テレビニュースを見ていて、私は思わず呆れた顔で口にしてしまう。 「自分は生き方として間違ったことはたくさんしてきたかもしれないが、人を騙したり犯罪を犯したことだけは一度もない」と。 妻は「当たり前でしょ」と言うが、その「当たり前」が当たり前でないからこそ、悲しくなるのだ。

 

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