脱線がなければ、私は私になれなかった

 

1.良い音とは何か ーー 中学生の論争

2.原音を追いかけた日々 ーー JBLスピーカーと大出力アンプ

3.音楽ではなく「音」を追っていた ーー 音楽の脱線

4.星を追いかけて機材マニアに迷い込む ーー 天文の脱線

5.ロマンを追いかけて機材マニアに迷い込むーー 無線の脱線

6.脱線こそが私の人生だった

 

 人生の中には、誰でも気づかないうちに「脱線」してしまう瞬間がある。 夢中で追いかけていたはずのものから、いつの間にか外れてしまい、気がつけば別の道に迷い込んでいる。 私は原音を追いかけ、星を追いかけ、無線にロマンを求め、そのたびに最後は本来の目的から外れていった。 しかし、その回り道のすべてが、今の私を形作ってきた。 脱線は決して失敗ではなく、むしろ私の人生を特徴づける、最も核心的な要素だった。

  

1.良い音とは何か ーー 中学生の論争

今から六十年前、まだ中学生だった頃、私は友人の二人と「良い音とは何か」を巡って論争を繰り広げていた。 人工的に脚色されていても「聴いていて心地良い音」こそ良い音なのか。 それとも脚色を排し、まるで目の前で生演奏が行われているかのような「原音」こそ良い音なのか。 若い私たちは本気で議論した。

 

我が家にはステレオがあった。 今でこそ左右のスピーカーから別々の音を出すステレオ再生は当たり前だが、1960年代後半では高級オーディオの部類だった。 ケースの中には左右2チャンネル分の真空管式アンプが収められ、内部では電球の灯りのようにヒーターが橙色に点灯していた。 また、当時はFM放送がまだ実験段階だったため、ステレオ放送は二台のAMラジオを使って実現されていた。 装置の前面には左右対称に二つのAMラジオのダイヤルが並び、NHK第一放送が左チャンネル、NHK第二放送が右チャンネルを担当した。 ステレオ音楽放送の時間になると、NHKAM二波を総動員する大騒ぎだった。

 

我が家のステレオは左右に独立した大きなスピーカーボックスがつながれていた。 これも当時としては目新しかった。 一般的な音響装置はアンプもスピーカーも一体の木製キャビネットに収められていたからだ。

 

私は友人二人を家に招き、自慢のステレオを見せた。 ところが彼らは予想に反してせせら笑った。 彼らは家は自営業で裕福で、当時の最先端の高価な高級ステレオシステムを自室に揃えていた。 そんな彼らの前で一世代前の装置を誇らしげに見せる私を見て、「やった!」と言わんばかりにほくそ笑んでいたのだ。

 

彼らと話すと、私の知らないオーディオ業界の知識を次々と披露された。 その中で私が真っ向から対立したのが、オーディオシステムが目指すべき「音」の定義だった。 彼らは「聴いていて心地良い音」こそ良い音だと主張し、私は「原音の再生」こそが良い音だと反論した。

 

私には、私なりの信念があった。 オーディオシステムというものは、可能な限り原音を脚色せず、まるで目の前に楽団が現れて演奏しているかのような音を忠実に再生することが理想だと信じていた。

 

 

2.原音を追いかけた日々 ーー JBLスピーカーと大出力アンプ

この論争は、中学生だけの稚拙なものではなかった。 その後もオーディオ業界では、技術の急速な進歩の陰で常に「良い音」と「原音」の論争が続いていた。

 

1970年代、スピーカーの世界ではイギリス製のタンノイ(TANNOY)が不動の地位を保っていた。 私からすると、タンノイの音は「原音」からは遠い、個性的な音だった。 当時はこのタンノイを真空管アンプで鳴らすマニアが多かった。 繊細で雰囲気のある良い音だと言うのが彼らの主張だった。

 

私が選んだのはアメリカのJBLだった。 タンノイの精緻なこだわりを突き破るような、楽器が目の前に飛び出してくるリアルでパワフルな音に魅了された。  出力が大きくて、周波数特性やダンピングファクターなどの電気的特性に優れた最新鋭のソリッドステート式アンプで鳴らすのだ。 1980年代には、車が一台買えるほどの金額を投じ、民生用としては最高級の大型フロア型スピーカーを購入した。 私は一貫して「原音再生」に一歩でも近づくことを目指していた。

 

 

3.音楽ではなく「音」を追っていた ーー 音楽の脱線

ある時、音大生と話す機会があった。 彼は音楽が好きで音楽の道を歩んでいたが、アパートで聴いていたのは小さなラジカセだった。 ラジオとカセットテーププレイヤーが一体になった、いまならCDラジカセと呼ばれるものだ。 そのラジカセにカセットテープを入れ、音楽を勉強し、楽しんでいた。

 

私は、音の世界に生きる彼ならもっと良い音で聴きたいに違いないと思い、「もっといいステレオが欲しいですよね」と遠慮がちに尋ねた。 すると彼は「これで十分楽しめますから問題ありません」と答えた。

 

私はハッとした。 「私は何のためにこんなことをやっているのか」と。 答えは明らかだった。 私は音楽が好きでステレオを愛してきたつもりだったが、実際に追いかけていたのは「音」であって「音楽」ではなかった。 私は「音楽マニア」ではなく「音マニア」だったのだ。

 

確かに、我が家のリビングには大きなステレオ装置がずらりと並んでいた。 しかし肝心のレコードやCDはたいした数ではなかった。 どちらかと言えば、それらは音出しチェックのための素材にすぎなかった。 かつてヴァイオリンを弾き、ブラスバンドで管楽器に親しみ、楽典を学び、弦楽合奏曲の作曲の真似事までしていた私はどこへ行ってしまったのか。

 

私は音楽でなく「音」を追っていた。

 

 

4.星を追いかけて機材マニアに迷い込む ーー 天文の脱線

振り返れば、同じような脱線はほかにもあった。 天文マニアでもある私は、庭に天体観測室を建て、夜な夜な遠い銀河宇宙の撮影にのめり込んだ時期があった。 その大きな天体望遠鏡で撮影した数々の天体写真は、今も家の壁を飾っている。

 

しかし、何年か経つうちに観測機材はどんどん増えていった。 山の上で遠征観測をするためだと言って移動観測用のシステムをいくつも作り、しまいにはワゴン車を改造して天体望遠鏡を組み込んだ「移動観測車」まで作り始めた。 機材は増えるほどに観測室での撮影はおろそかになり、数年後には観測室を解体・撤去する結果になった。 散財したものだ。

 

いつの間にか、私は星でなく、望遠鏡を見ていた。

 

 

5.ロマンを追いかけて機材マニアに迷い込むーー 無線の脱線

私の趣味の中で最ものめり込んだものはアマチュア無線だった。 高校時代、アメリカに憧れ、アメリカ人と話したい一心でロマンを求めて始めた。 そして二十代になって、その夢は実現した。 ところが三十代になると、憧れやロマンから遠ざかり、大きく脱線して競争の世界に突入し、ついには私の顔つきまで歪めてしまった。

https://mafnet.jp/blog/archives/1294

(『悪道を歩くと顔が悪くなる』)

 

その後、私は競争の世界から足を洗ったが、その時のエネルギーは私を機材マニアと言う道に迷いこませた。 無線機と言う無線機を買い集めて棚に並べ、いつでも電波を出せる状態に調整・整備をした。 さらに、すべてのアマチュア無線局が自作の無線機を使っていた頃の無線雑誌を揃え、あえて真空管を使ったクラシック・スタイルの無線機の自作を始めた。 これらにはお金だけでなく、かなりの体力と時間が必要だった。 そうして無線機を揃えたが、それらを使って交信することはほとんどなかった。 ただ部屋いっぱいに並べて悦に入っている私がそこにいた。 いつの間にか私はただの無線機マニアになっていたのだ。

 

気がついたら、私はロマンでなく、機械にしがみついていた。

 

 

6.脱線こそが私の人生だった

よく見渡してみると、私に似たような話はほかにもある。 休みがあればガレージで車を整備していじり回しているが、実際にはあまりドライブに出かけない人。 カメラが好きで高価な高級機材を取り揃えているが、それほど作品作りに熱を入れているわけではない人。 いわゆる「メカ・マニア」だ。

 

それはそれでまったく問題ない。 それが楽しみで、それを趣味にしているのだから。 しかし、当初抱いていた夢から脱線して意図せずそうなってしまうのは、やはりどこか悲しい。 特に私のような、元々機械好きの「凝り性」な人間は、その間違いに陥りやすい。

 

どう考えても、私の人生には「脱線」がつきものだった。 それは趣味に限らず、仕事の世界でも同じだった。 せっかく大企業に入ったのに、そこで真人間として過ごしていれば、高速道路をゆったりとドライブするように安泰なサラリーマン生活が送れただろう。 しかし私は、あえて自ら脱線し、悪戦苦闘しながら走る「山あり谷あり」の山岳道路を選んだ。 脱線抜きでは、私の人生は語れない。

 

原音を追いかけて機材にのめり込んだ日々も、星そのものより望遠鏡に心を奪われた夜も、ロマンが去っても機械にしがみついていた時間も、すべては私という人間の成せる業だった。 大企業で職務を全うするよりも、たとえ小さくても自分の力で業を成そうと奮闘した日々も、目的から外れながら辿ってきたすべての道が私の人生を形づくっているのならば、通って来たあまねく回り道は、もはや「無駄足」とは言えない。

 

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