虚しい競争に心を奪われた時期があった。 あの頃の私は、顔つきまで変わっていた。 生き方は、いつのまにか表情に刻まれていく ―― そんな当たり前のことに、私は長い時間をかけてようやく気づいた。
毎晩のテレビ・ニュースを賑わせる犯罪者の報道を見るたびに、「なぜそんなことをするのか」と、驚きと失望と悲しみが入り混じった気持ちになる。 中には、顔も隠さず堂々と警察官に連行されている者もいるが、大多数はマスクとフードで顔を覆い、世間に自分の顔を晒さないようにうつむいて歩いている。
逮捕後の顔写真が映し出されることもあるが、その表情は「さもありなん」と思わせるものが多い。 それが逮捕のショックによるふてぶてしい無表情なのか、あるいは逮捕前からすでに「犯人面」をしていたのかはわからない。 しかし、逃走中の手配写真でさえ、なぜか「いかにも」という顔つきに見えることが多いように感じる。
私は六十年近く前の高校時代、アマチュア無線に出会い、「アメリカ人と話がしたい」という夢を抱き、その一心でのめり込んでいった。 アマチュア無線が私を育ててくれた青春時代の「黄金期」の始まりである。 他局が何をしようと、私は我が道を突き進み、憧れのアメリカへ少しでも近づきたいと情熱を燃やし続けた。
しかし、社会人となり、会社でも中堅の立場となってお金も自由に使えるようになった三十五歳頃、転機が訪れた。 かつてのロマンの追及は、アメリカ人の友人との出会いやスペインでの体験につながり、すでに役目を果たしていた。 その頃から私は、本来のロマンに満ちた目的から少しずつ脱線し始めた。
それから十年間近く、従来にはなかった「不純な夢」が首をもたげ、私を支配するようになった。 他局との競争である。 他局より強力な電波を海外に向けて飛ばすことができれば、いつでも思った相手と交信できる。 気がつけば、私の無線設備は巨大化し、その拡張に歯止めがかからなくなっていた。
ロマンから競争へと舵を切った私は、次々に投資を重ねた。 お金だけではない。 技術面での知識も経験も積み上げていた私は、他局を凌ぐ設備を目指して爆走を始めた。 目的は他局に勝って優越感を得ることだけになっていた。 そのため、多少の違法出力には自ら目をつぶった。 車で言えば、競争して走れば制限速度を超えてしまうのに似ている。 鉄塔の上には自分で製作した当時の日本で最大のアンテナを搭載した、
実際、私は特定の短波周波数帯の設備では、誰もが認める「日本最強」の無線局となり、雑誌の表紙を飾ったり、紹介記事が掲載されたりもした。 遠方にある都市の無線局の集まりに招待され、講演を依頼されたこともあった。 私は有頂天になっていた。
当時の無線局と私を一緒に撮影したスナップ写真は何枚も残っているが、今見ると、そこに写る自分の姿にぞっとする。 テレビ・ニュースで見る極悪容疑者の顔とそっくりなのだ。 まさに「悪人面」である。 正気を失い、生気を欠いた、廃人のような表情をしている。 「悪道」は間違いなく顔に出るものだ。
私はその後も十年近く脱線を続けたが、あるとき、力で他局を打ち負かして得意になっている自分の姿に、突如として幻滅した。 そんなことのためにアマチュア無線を始めたのではなかった。 その瞬間、十五歳から三十年間愛して来たアマチュア無線の第一線から静かに手を引いた。
今、自己紹介の際に使っている写真は、映像作品作りのために訪れたスペインで撮影したスナップ写真だ。 脱線ばかりしていた会社員生活と決別し、個人事業を立ち上げ、本気になって仕事に打ち込んでいた六十五歳の時のものである。 とても穏やかないい顔をしている、私のお気に入りの一枚だ。
いつも手元に鏡を置いて自分の顔をチェックするといい。 もっとも最近は、薄い白髪になってしまった「爺さん顔」にぞっとするようになり、鏡を覗き込むのが恐くなってしまったのだが。