十数年前、私は会社勤めと決別し、「男一匹」で個人事業立ち上げを決意した。 どう見ても私は会社員向きの男ではなかった。 「組織の中で自分を制しつつ、マインドを高く保って鼓舞する」という生き方から、どうしても脱線してしまうのだ。 脱線したからこそ得られたものも多かったが、「脱線せずに仕事の中で自己実現をする」ことを、人生最後のタスクとしてどうしても挑んでみたかった。
会社員生活で何度も脱線してきた私には、「お金ではない」財産があった。 金でも銀でもなく、形のない財産だ。 さまざまな趣味体験を通じて永年にわたり身に付けた、一般写真、天体写真、電子機器設計・工作、機械工作といった分野の「技術とノウハウ」である。 さらに、銀行員時代に身に付けた財務分析の知識もあった。
個人事業と言っても、法人化していないだけで従業員を雇用する事も出来た。しかし私は元来、組織の中で「上に立って人を使うタイプ」ではなかったため、人を雇うことは最初から考えなかった。
事業内容は、当時の日本ではほとんど事例がなかったパイオニア的な「タイムラプス撮影事業」である。 何をするにも高い壁が立ちはだかっていたが、「一人でなにもかもやっていこう」と決意しての立ち上げだった。
そこに至るまでの数年間で過去の清算を済ませていたため、思い立った時の手元資金はわずかだった。 妻が働いて貯めていた資産は相応にあったと思うが、私は「自分ひとり」にこだわった。 そうでなければ「自己実現」とはならない。 人生最後の機会に、そこだけは私は「真人間」になっていた。
他の事業のように、すでに世の中に知れ渡たり、ビジネス・パターンが確立している世界に後から参入するわけではない。 すべて手探りでのゼロからの出発だった。
韓国の天文仲間の知人が、数年前から日本に先んじてタイムラプス撮影機材の製造・販売会社を立ち上げ、韓国国内ではテレビ放送局や撮影事業者を相手に順調に事業を伸ばしていた。 彼は友人である私が日本でタイムラプス事業を立ち上げ、自社製品を扱ってくれれば一石二鳥だと考え、熱心に起業を勧めてくれた。
私が起業直前の二年間、フィジーの企業で仕事をしていたとき、その韓国人が「フィジーの美しい風景をタイムラプスで撮影してみてはどうか」と勧めてくれたのが、そもそものきっかけだった。 私は当時、世界で最もタイムラプス撮影と画像処理の先駆者であったドイツ人のフォトグラファーに連絡を取り、ノウハウの手ほどきを受け、撮影経験を積んでから日本に帰国し、起業することになった。
起業後、最初に手掛けた仕事第一号は、「韓国の知人のタイムラプス撮影関連機器」の輸入販売だった。 ワンセット数十万円する機器だったが、その知人は「太っ腹」で、仕入れ代金の支払いなしで機材を送ってきた。 「売れたら払って下さい」という仏様のような言葉だった。 幸い、ホームページで公開すると1週間も経たずに、群馬県・尾瀬の撮影で有名な写真家から注文が入った。 この一連の幸運が、私の事業の「進水式」となった。 この写真家とはその後もさまざまな形でお付き合いが続いた。 世の中すべては「人との出逢い」であることを絵に描いたような出来事だった。
その後は、各種関連機材の輸入販売やレンタルを始めたが、そもそもそういった機材を扱ったことのある経験者が日本にはおらず、販売するにせよレンタルするにせよ、私がいちいち操作の実演をしながら説明・指導しなければならないことに気づいた。 「ならば私が」と始めた撮影事業が、すぐに事業の中核となった。
そこから、「タイムラプス・フォトグラファー」を名乗る日々が始まり、作品作りのために、かつて留学したスペインをはじめ、ミャンマーやパラオも訪れることになった。
こうして書くと、なにもかも苦労なく進んだように聞こえるかもしれないが、実際にはやることが本当に多かった。 ホームページの本格的な制作だけでなく、展示会用に三十種類ほどのパンフレットを手製で作り、各地の展示会への出展・出店、講演会での講演も行った。 タイムラプスの解説書も執筆し、自社を出版社登録をして完全に自社出版・販売を始めた。 いくら手足があっても足りないほどで、今思うと「良くあれだけ身体と頭がついていったな」と感心するほどだった。
あともうひとつ、普通だったら会計処理や決算・税務申告などは税理士に頼むところだが、節約したい気持ちもあり、何よりもかつての「銀行員魂」が生きていた。 なんとか自分でやろうと考えた。 とはいえ、銀行員が知っている財務は出来上がった財務諸表を分析できる程度の話であり、日々の仕訳作業から期末の決算作業を経て財務諸表を作るという作業とは隔たりが大きい。 私は深く考えず、とにかく突進した。 会計ソフトを使っても関連した作業は多く、知識と経験がなければ大変なものばかりだった。 簿記の勉強をしながら夢中になって格闘して、なんとか初年度の決算を終えたときは本当に安堵した。
海外でのタイムラプス人気の高まりを受け、わが国でも急速にその素晴らしさが知られるようになってきた。 その流れにタイミングよく乗った私は、NHKや民放テレビ放送局各社、映像制作会社などから撮影の仕事を数多くいただき、事業は順調に拡大した。
その後、長野県小海町との出逢いがきっかけで、わが国初の「長期タイムラプス遠隔操作撮影システム」を開発し、長期タイムラプス撮影事業に着手することになった。 それが私の事業の最後を華やかに飾ってくれた。
https://mafnet.jp/blog/archives/1126
(『すべては、あの出逢いのおかげだった ― 新しい撮影システムの誕生』)
「人はいつからでも、自分の物語を立ち上げられる。」
そんなことを感じさせられた、現役最後の十数年間となった。